『銀河を渡る -全エッセイ-』と『ゴロウ・デラックス』(終)
2011年4月14日から始まった『ゴロウ・デラックス』も気がつけば放送回数337回。2019年3月28日番組最後の322人目のゲストは、出演者、スタッフともに熱望し続けていたバラエティ番組初出演となる作家の沢木耕太郎さん(71歳・身長180cm)
沢木さんといえば、1年以上にわたるユーラシア放浪を綴った『深夜特急』
シリーズ累計600万部の大ベストセラー。多くの傑作ノンフィクションを生み、数々の文学賞に輝いてきた日本を代表するノンフィクション作家だ。
なぜご出演?
外山「ありがとうございます」
沢木「でも、ちょっと分の悪い戦いをしてる人のところにはちょっとこう加勢をしたくなるっていう感じもちょっとないことはなくって」
吾郎「ありがとうございます」
沢木「しかし、そんな分が悪い戦いでもないんでしょ。今、あなたやってるのは」
吾郎「ああ、そうですね。う~ん、あの~あんまり客観的にそういうふうに自分のこと見てなくて、うん。実際すごく充実してますし、何よりも本当に幸せいっぱいなので」
沢木「この間、あの映画」
外山「半世界」
吾郎「はい」
沢木「あのタイトルが出た後に、後ろ振り向くところから始まるじゃない」
吾郎「そうです、ありがとうございます」
沢木「あの顔はなかなかいい顔してるでしょ」
吾郎「ああ、ありがとうございます」
沢木「あの、あ、大人の顔になってていい顔しているじゃんと思って」
吾郎「ありがとうございます。ま、そうです。そういった意味ではまあ、新しい自分の再スタート」
沢木「あの傑作ではないけれど、いいじゃんと思いましたよ」
吾郎「監督もすごく喜ばれると思います」
沢木「でも傑作じゃない、な~んて(笑)」
そして今回の課題図書は25年分のエッセイをまとめた
25年分のエッセイ集『銀河を渡る』
このエッセイ集は沢木さんにとって大きな作品となった『深夜特急』の最終巻を書き終えた直後から始まっているエッセイで、それまでを第一期とするならば、第二期の沢木さんのエッセイを纏めている一冊。そのころの吾郎さんはといえば20歳前後のちょうどデビューしたころで、 それからの25年は膨大な時間だったのか、あっという間の時間だったのかを沢木さんが尋ねます。う~んと悩みつつ、やはり“長いようで短いようで……”と出てくる言葉に沢木さんも“としか言えないよな”と同意します。ゲストのようでいて、取材中のノンフィクション作家らしい一面を覗かせます。
そんな沢木さんのノンフィクションの真髄に触れる部分を外山さんが朗読します。
その“私”が“現場”に向かうことによってノンフィクションは成立する。
そして、そのとき、“私”と“現場”をつなぐのは、どのようにきれいに言い繕おうとも、やはり“好奇心”というものである。
“好奇心”が“私”を“現場”に赴かせる。
多かれ少なかれ“好奇心というものは誰でも持っている。
しかし、それがジャーナリズムの世界で意味を持つためには、“現場”に差し向けられる“好奇心”に、ある“角度”が必要なのだ。
そして、その“角度”こそが、その人の個性となり、結果的にその人の書くノンフィクションの個性となっていく」
ノンフィクションに大切な“角度”とは?
例えば沢木さんが吾郎さんについて書こうと思ったとする。でも、今日1回会ったからと書こうという気にはならない。この1回の出会いは1本の線にしかすぎないわけです。だけど、その1年後か2年後に沢木さんが惹かれる何かがあったとする。そこでまた1本の線が引かれ、その前の線との交点が出来るわけです。その交点がないと沢木さんは書こうとか、動こうとか、取材しようというエネルギーにはならないのだそうです。
そして交点が出来て書こうという気になったときは、その相手を理解したいと思うため、取材相手に向かって、“あなたのことを理解したいと思うので、時間をくれませんか?”と語るそうです。その言葉はその人にとっては事件で、インタビューが山ほど来る中、自分を理解したいと思う人が目の前に現れるということは人生の中でそう滅多にないことで、大抵の人は怯むのだそうです。ただ怯んだ後、わかったと理解を示された後は圧倒的に深いものになっていくのだと沢木さんは語ります。
吾郎さん自身もたくさんインタビューを受けてきましたが、そういうふうに言ってくださる方は今までいなかったと。本当にあなたを理解したいのだと伝えれば、相手はそれに対応してくれる、応じてくれるというある種の自信があるのかもしれないと沢木さん。だからこそ、そんなに頻繁なインタビューは出来ないので、交点が必要なのかもしれません。
高倉健との出会い
沢木さんに心を開いた著名人の一人が高倉健。課題図書にも30ページにわたっての追悼文が収められているが、その出会いは1枚のチケットだった。
モハメド・アリの試合をずっと見てきた沢木さん。彼の最後のタイトルマッチを観ようかどうか迷っているうちに完売。ロスアンゼルスにいる友人に“チケットどうにかならないかな?”と頼んだところ、そのときはないと。ただ1日経ったら入手できたと。実は高倉健さんのためにチケットを1枚取っておいたのだけれど、事情を説明したところ、「俺が観るより沢木さんが観たほうがいいんじゃないか」と譲っていただけて無事に試合を観ることが出来た沢木さん。
試合はラスベガスで行われ、その日のモハメッド・アリは滅多打ちにやられて初めてKOで敗れるのです。試合を観終えてホテルに戻ってきた沢木さんの前に、ライターたちのタイプを打つ音が聞こえてきます。もちろん、沢木さんはプライベートで試合を観に来ていたのですが、それを見て本来であれば観に来れたはずの高倉さんのために、試合のレポートを書こうと長い手紙を書いた沢木さん。それに対して、返信が届き、そこから彼ら2人の交流が始まったのです。
美空ひばりとの思い出
沢木さんがMCを務めるラジオ番組にゲスト出演された美空ひばりさん。番宣で写真を撮ることになり、沢木さんと美空さんが並んでいるところをカメラマンさんが撮り始めたのです。そこで「すみません。ちょっと1歩後ろに」 とお願いをするカメラマンに対し、沢木さんを見ながら「この人変なことわねえ。自分が前に来るか、後ろに下がればいいじゃないね。私たちに1歩下がれとか、前に来いとか不思議な人ね」と。
君たちグループはどうだったと吾郎さんに尋ねる沢木さんに、グループだからこそそっちが動けなどということはなく、やはり皆それぞれ気分も違うし、冗談が通じないときもあるので自分は大人しくしていたと吾郎さん。グループには独特の緊張感があったと答えると、吾郎さんがよく緊張感と言うことに対し、緩やかな安定感を緊張感と常に言うのが面白いと沢木さん。
吾郎さん自身もよく語っていますが、グループにいさせてもらっているというか、大企業に勤めている感じで。また年齢的にもちょうど真ん中だったので中間管理職として自分の置かれた立場や、求められるキャラクターとかポジションに対して、吾郎さん独自の感覚ですが、常に緊張感を持ってグループに在ったのです。
と気づけばゲストのはずなのにインタビュアーは沢木さんに変わり、吾郎さんがゲストになった感じで、それは沢木さん自身のスイッチが入った瞬間でもありました。
続いては代表作『深夜特急』について。
沢木さん26歳のとき、インドのデリーからロンドンまで乗合いバスで旅した記録はノンフィクションの金字塔にして、旅行者のバイブルとして600万部の大ベストセラー。ということで出発前夜の様子を吾郎さんが朗読。
日本を発つ前、友人たちに話すと、意見は半々に分かれた。
しかも、バスはバスでも乗合いバスで、と言うと九対一になった。
もちろん「否!」が圧倒的だった。
そこで、デリーからロンドンまで乗合いバスで行けるか行けないかを賭をした。
「否」を主張する友人たちとニギッたのである。
一口千円、前払い、行けなかったら倍にして返すという約束だった。
私は彼らから金を受け取る際、こううそぶいたものだった。
「三ヶ月か四ヵ月後には、ロンドンの中央郵便局から《ワレ成功セリ》って電報打つから楽しみに待ってろよ」
旅に出る前から本を書かれることは前提とはしておらず、アウトプットではなく、インプットをしたかったと。旅をして1年後ぐらいに様々な経験を積んできたのを書けるな、書きたいなと旅に最後には思ったそうですが、実際には何年も何年も書けなかったそうです。
ちなみに書く際の資料は100通ぐらい、旅の最中に書いた長い手紙と、日にちと行程とかかった費用(例:インドのリキシャが何十ルピーとか)を書いた金銭出納帳があったので、それを元に書かれたのだとか。ただ、7~8年書けずにいたそうですが、その「深夜特急」を書いたときに沢木さんの中にある種の重さとしてずっと存在していたはずの旅は、自分の身体の中から消えてしまったそうです。ずっと身体の中に存在することがいいのか、本という場所に整理して記録して、自分の中から消えることがいいのかはわからないけれどと沢木さん。
これから旅する人へ
沢木「あなたたちが、今、新しい地図?」
吾郎「新しい地図として、はい、言います」
沢木「で、比較的自由なんでしょ?」
吾郎「そうです。だから本当はいけるんです。新しい地図なんて言って、地図持ってるはずなのに。ちょっと憧れますね。何かそれが若いころ出来なかったことなのかもしれない。僕はこういう経験が出来なかったので」
沢木「うんうん。もし旅で一番重要なことは何かって言うとね、人に聞くことなんです」
外山「ああ」
沢木「旅先で人に聞く。わかってても聞く、むしろ。要するに“ここから駅に行くにはどうしたらいいんですか?”ってオリンピックの取材なんかで、僕がこうやってるのを見て、若いジャーナリストさんが“沢木さんって何でも人に聞いちゃうんですね”って言うんだけど、でも何でも人に聞く」
吾郎「そこはまったく抵抗は」
沢木「全然ない。むしろ知らないんだから」
吾郎「うんうん、もちろんもちろん、難しいことではないんだから」
沢木「聞く。場合によってそこから何かが始まる」
吾郎「うん。ドラマが生まれますもんね」
沢木「そう。尋ねて、耳をすませて聞くんですよ。旅をするコツはなんですか?って聞かれたら、人に尋ねること」
吾郎「そうかあ。これを聞きたい人多いよね」
外山「人に聞くとか、人と人との出会い(深夜特急を抱えながら)」
吾郎「こんなことが生まれるんだ」
外山「すごかったじゃないですか、この本も」
沢木「だって、こうずっと君のことを見ていたら、面白いと思うよ、俺」
吾郎「照れちゃいますよね」
山田くんの消しゴムハンコ
放送337回目
最終回だからとこれまでの課題図書全部をこうやって見せてくださったこと、そして山田くんの消しゴムハンコも見せてくださったことはさすがの『ゴロウ・デラックス』
この1冊、1冊が吾郎さんが忙しい中も積み重ねてきた経験であり、宝物なのです。
そしてキャラヴァンは進む
「もし家に本があふれて困ってしまい
処分せざるを得ないことになったとしたら、
すでに読んでしまった本と、
いつか読もうと思って買ったままになっている本と、
どちらを残す?」
「当然、まだ読んだことのない本だと思いますけど」
すると、その作家は言った。
「それはまだ君が若いからだと思う。
僕くらいになってくると、
読んだことのない本は必要なくなってくるんだ」
齢をとるに従って、
あの年長の作家の言っていたことがよくわかるようになってきた。
そうなのだ、
大事なのは読んだことのない本ではなく、
読んだ本なのだ、と。
先日も、書棚の前に立って
本の背表紙を眺めているうちに、
なんとなく抜き出して手に取っていたのは、
トルーマン・カポーティの『犬は吠える』だった。
この『犬は吠えるにおいて、
私が一番気に入っているのは、
中身より、そのタイトルかもしれない。
犬は吠える、がキャラヴァンは進む――――アラブの諺
誰でも犬の吠え声は気になる。
しかし、キャラヴァンは進むのだ。
いや、進まなくてはならないのだ。
恐ろしいのは、犬の吠え声ばかり気にしていると、
前に進めなくなってしまうことだ。
犬は吠える、がキャラヴァンは進む……」
番組の最後に
吾郎「じゃあ、山田くんもじゃあ、ちょっと最後だから」
山田「はい」
吾郎「消しゴムハンコにはもう本当に、消しゴムハンコに感謝だよね」
山田「はい、そうですね」
外山「それでは最後に吾郎さん、皆さんに一言お願いします」
吾郎「8年間毎週、毎週、楽しみにしてくださった方がいっぱいいたので、うん。終わってしまうのはもちろん少し寂しいんですけれども、本当にこれを続けられたことを本当に感謝していますし、何よりも見てくださった視聴者の方にはもう本当にね、心から感謝しています」
外山「“ゴロウ・デラックス”8年間ありがとうございました」
吾郎「ありがとうございました。はい、いつかまたどこかでお会いしましょう。さよなら~」
⇒最後のその瞬間までゴロデラらしく、吾郎さんらしく、外山さんらしく、山田くんらしくその時を迎えた実に素晴らしい番組でした。番組が終わってしまうこと自体は大変悲しく、寂しいことではありますが、最後の朗読に込められた思いを受け止め、新しい一歩を進んでいくだろう吾郎さんたちに素敵な未来があることを願うのみです。
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