『安藤忠雄 仕事をつくる -私の履歴書-』と『ゴロウ・デラックス』
2017年9月28日放送の『ゴロウ・デラックス』第267回目のゲストは、表参道ヒルズを建築した日本建築界の頂点に立つ男、安藤忠雄さん(76歳)
建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を始め、その受賞歴は前人未到の領域。
・日本建築学会賞作品賞(1979年)
・毎日芸術賞(1987年)
・日本芸術院賞(1993年)
・プリツカー賞(1995年)
・高松宮殿下記念世界文化賞(1996年)
・RIBAゴールドメダル(1997年)
・AIAゴールドメダル(2002年)
・京都賞思想・芸術部門(2002年)
・UIAゴールドメダル(2005年)
・ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞(2010年)
・後藤新平賞(2010年)
その安藤さんの代表作品はといえば表参道ヒルズ、
東急東横線渋谷駅といった我々に身近な建築物だけに止まらず、
その活躍の舞台は世界レベル。
今、世界中から愛される愛される安藤建築の秘密とは?
稀代の建築家、安藤忠雄。その仕事術と素顔に迫ります。というわけで、本日の課題図書は、
吾郎さん曰く、若い方に読んでいただきたい本で、自分たちも喝を入れられているような感じがしたそうです。そして登場早々、"凄い、絶望的な……セットやね"と『ゴロウ・デラックス』の自慢のセットにコメントの安藤さんw
【今夜放送】TBSテレビで本日深夜0時58分から放送「ゴロウ・デラックス」に安藤忠雄さんが出演されます。https://t.co/gO1P5Pjl54
— 安藤忠雄展-挑戦-(公式) (@ANDO_endeavors) 2017年9月28日
是非ご覧ください。#安藤忠雄展 #国立新美術館 pic.twitter.com/7RLzmEeM1i
安藤さんといえば、有名な"住吉の長屋"などコンクリートで無装飾な建築を作られている方なので、このセットは金色にキラキラ✨と輝いて対照的かもしれません。しかし、絶望的と口にしたのは安藤さんが初めてかも。
超多忙!進行中の仕事数は?
人気建築家として多忙な日々を送る安藤さん。現在のお仕事状況はというと、"大阪で1件、全国では20件、残りの35件はスイス・フランス・イタリア・ドイツetcといった海外"というのだから驚きです。そんな安藤さんのお仕事を吾郎さんが一番身近に見られるのが表参道ヒルズ。この表参道ヒルズは長年、表参道のランドマーク*1として親しまれてきた同潤会青山アパートを建て替えたもの。歴史ある景観を損ねないように建物がケヤキ並木の高さを超えないよう、安藤さんのこだわりが詰まった表参道の新名所。
吾郎さんは寮があって原宿に住んでいたため、昔の同潤会青山アパートのイメージはやはりすごくあったため、表参道ヒルズが出来た時には結構な衝撃を感じたのだとか。
ちなみに安藤さん曰く、同潤会青山アパートの前は7°の勾配坂だったため、その坂を表参道ヒルズはそのまま中にも引っ張ってきているのです。建築は周囲の環境をどう味方にするのかが大切で、表参道ヒルズは坂を味方にしたのです。また同潤会青山アパートの建物そのものもそのまま少しだけ残しているのは、そこにあったものを残すことも大事だという気持ちから。そんな安藤さん、実はマネージャーはおらず、すべてのスケジュールをご自身で管理されています。
マネージャーは自分
というわけで、貴重な安藤さんのスケジュール手帳を披露していただくことに。9月4日(月)15:30~17:00が安藤さんの回の『ゴロウ・デラックス』収録時間スケジュールなのですね(←そこかよ)いやあ、でも本当にビッシリで、書くスペースを探すほうが大変そう。
そんな過密スケジュールを送る安藤さんですが、実は2014年には胆のう、胆管、十二指腸すべて摘出する手術を受け、その後、すい臓がんも発見。膵臓と脾臓を全摘出する大手術を受けます。そんな内臓のほとんど失う手術を受けた安藤さんですが、"先に何かをしなければという希望があれば元気"だと今なお世界中を飛び回っています。その仕事へのエネルギーはどこから生まれてくるのか、そのヒントは半生を綴った課題図書のに。というわけで、安藤さんの半生を振り返った一節を吾郎さんが朗読します。
自分がどこに立っているのか、正しい方向に進んでいるのかさえわからない。
不安や孤独と戦う日々が続いた。
そうたい暗中模索が、責任ある個人として社会を生き抜くためのトレーニングとなったのだろう。
私が歩んできた道は、模範というには程遠い。が、この一風変わった歩みが、若い人を少しでも勇気づける材料となれば幸いである。
安藤さん自身が今までよく問題なく生きてこられたと思うぐらいの模範には程遠い人生、しかしその中にこそ安藤流仕事術のルーツが隠されていたのです。
17歳、元プロボクサー
たまたま家の近くにボクシングジムがあって、当時、普通の人の給料が1万円だった時代に4回戦で4,000円くれると知り、喧嘩してお金が、しかも結構な金額がいただけると知った安藤さんは入団し、1ヶ月ぐらいでプロの選手になったのです(リングネームは「グレート安藤」)。ちなみにボクシング経験は建築に活かされているのかと問う吾郎さんに対し、"人生は誰も助けてくれないということをここで覚えます。四角いリングの中で逃げたら終わり。人生はある意味では戦いだと思っている"から、最後まで戦えるファイティングスピリットを養えたのかもしれません。
18歳、師匠は自分
そして建築家の道を志していく安藤さんでしたが、家庭経済の問題と自身の学力の問題もあり、大学に行くことができませんでした。しかし、生きなければいけない安藤さんは誰も相手をしてくれないので自分で考え、自分で行動することを覚えます。高校卒業後、京都大学や大阪大学に行った友人たちに頼んで教科書を買ってもらい、そうっと入って講義を受講したり、奈良や京都などに行って実際の建築物を見て勉強を。一心不乱で頑張れたのは生活がかかっているから。これで稼がないと生活が出来ないため、人の何倍も学べるのです。その努力は実り、無事1級建築士に合格、28歳で事務所を起ち上げ独立も果たしますが仕事はまったくなく、コンペでは落選続き、空き地を見つけては勝手に設計プランを書いては地主に持ち込み迷惑がられていたという。
31歳、飲み仲間は政財界のドン
そんな不遇な生活を送っていた安藤さんでしたが、飲み友達には当時サントリー社長であった佐治敬三*2さんが。北新地の飲み屋が並んでいるところに一緒に飲みに行くときにはお金を払わず、佐治さんがいないときにはお金は払わないもののサインをして出ていくのですが、なぜか請求が来ない。 "北新地は請求書が来ないからいいなあ"と口にしたら、ただ単に佐治さんが安藤さんの請求書を支払っていたことが判明しますw
実はある時期まで安藤さんが建築家だとは知らなかった佐治さん。ある日、それを知った佐治さんは安藤さんに有名な建築物の依頼をします。
1994年『サントリーミュージアム 天保山』
1994年に大阪・天保山に『サントリーミュージアム』という美術館(2011年以降サントリーは運営に関与せず、現:大阪文化館・天保山)設計を安藤さんに依頼する際、何も要求はせず、すべては任せたと佐治さん――――…が、実はこの時期、政財界をザワつかせるある事件が安藤さんを中心に勃発していたのです。それが1995年にアサヒビール社長・樋口さんから京都にある100年前の建物を美術館にしてほしいという依頼で『アサヒビール大山崎山荘美術館』建設を。
お互いに競争相手ではあったものの安藤さんは気にせず、そして佐治さんも樋口さんも良い物作れよと気にはしなかったものの、周囲はやはり互いを気にし、なぜライバル会社の建築を引き受けたのかと非難が。経済界の頂点に立つ人というのは面白い安藤さんを助けてやりたいという気持ちになるのでしょうか、それが結果として安藤さんを成長させるのです。そんな政財界たちのドンの後押しもあり、少しずつ頭角を現しだす安藤さんでしたが、ついにある日、安藤忠雄の名を全国区に知らしめるある代表建築が完了します。
1976年『住吉の長屋』
1976年、日本建築学会賞受賞した『住吉の長屋』はコンクリート打ちっぱなしという建築を住宅に持ち込み、その後の建築家たちに多大なインパクトを与えたというこの家はなんと窓や空調は一切ないという。生活に本当に必要なものは何か、徹底的に突き詰めた結果だそうですが、実は安藤さんの遊び心も満載な作りにもなっているのです。
実は玄関の天井部分はわざと穴を開けており、雨の日などは玄関に入ろうが傘を差していないと濡れてしまうという……当然、玄関もビショビショに濡れてますが。また、真ん中には屋根をなくして中庭を作ったため、2階の寝室から1階にあるトイレに行こうとすれば、屋根のない中庭を階段で下っていかないと到着できないという……こちらも雨の日にはトイレに行くために家の中にいながら傘を差して移動という不便さw
究極のエコハウス『住吉の長屋』
窓や空調がないということは夏は猛暑、そして冬は極寒で自分の体力にすべてがかかっているわけですが、便利だけが生活ではないと。ちょっと不便があってもいいと思う安藤さんがなぜ利便性というよりは自然との共生を選ぶのかといえば、かつては長屋の住人だった安藤さん。暑いときは暑い、寒いときは寒い。この「生きている」感じがしっくりくるので、それが良い思う人が住む家を建てたと。ちなみに吾郎さんのマンションも中庭があって水が張ってあり、そこがいつもキラキラして気に入っているところなのだとか。
2004年『地中美術館』
『住吉の長屋』を始め、数々の住宅建築も手掛けてきた安藤さんのテーマは一貫して、周囲との環境に溶け込む"自然との共生"。その究極ともいえる建物が、
瀬戸内海の景観を壊さぬよう、一度建てた美術館を地下に埋め戻すという徹底ぶり。ただ、自然との共生を追求するあまり、時にはこんな事態にも。
1989年『光の教会』
実は依頼主と意見が大激突し、壁に十字架の切れ込みを入れ、そこから光を取り入れるデザインをした安藤さんは、その切り込みにはガラスを入れたくはなかったそうです。しかし、雨風が吹き込んで大変なことになると依頼主に怒られ、渋々ガラスを入れた安藤さん。が、いまだ諦めてはおらず、いつかこのガラスは取ってやるそうです。
ちなみに現在、国立新美術館開館10周年として開催されている『安藤忠雄展―挑戦―』では『光の教会』が原寸大で野外展示場に再現されているので、興味を持たれた方は12月18日(月)まで開催されていますので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
自然との共生にかける想い
安藤さんがガラスのある、なしにこだわるのは、自然との共生としてガラスがないようが自然が真っすぐに入ってくるからなのです。そもそも『光の教会』を作ろうと思ったのは1965年ぐらいに初めてヨーロッパへ旅行に生き、ヨーロッパの教会を見て、その光の美しさに感動し、今でも心の中にしっかり残っているのです。"稲垣さんの歌声が心の中に残ってる人はいっぱいいるわけでしょ。我々は建築を通して、心の中に残っていく場所を作りたいと思ったんです"
建築家を続ける理由
外山さんに問われて、安藤さんは答えます。
吾郎:人の心に残り続けるという、凄く良い仕事ですし、うん。やっぱり人なんですね。人が集る場所。僕らの仕事もそうですけど。
安藤:そうですね、うん。そうです。やっぱり……う~ん、声と光やね。光は自分の心の中に残るし、あの光キレイだったなあと。いうふうに声もキレイだった。そういうものを作りたいと。だから誇りをかけて、まあ、生きている限りやりたいと思ってます。
吾郎:ちなみにご自身はどんな家に住まわれて?
安藤:私はマンションに住んでいる。←ちょっと待てとw
外山:え?
吾郎:え、一番便利なやつじゃですか。
安藤:私は事務所は自分で設計したやつ。
外山:そっか、そっか、事務所はね。
安藤:事務所は自分の魂がいるところですから、家は便利がいいと。マンション、便利ですねえ~。
……なんという見事なオチwww
山田くん消しゴムハンコ
さすが76歳にして世界中を飛び回り、バイタリティー溢れる安藤さんが感じられた30分でしたが、それだけのバイタリティーがあってこその建築家なのかもしれませんね。常にそういう方と接し、お話を聞くだけでも十分な価値はあると思います。改めて吾郎さんに『ゴロウ・デラックス』という番組が残って良かったなと思います。
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