【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

『LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN』と『ゴロウ・デラックス』 - 第二夜 -

2017年9月14日放送の『ゴロウ・デラックス』第265回目のゲストは、前週に続いて伝説の写真家篠山紀信さん(76歳)前回は課題図書である、

 

LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN

LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN

 

 

貴重な撮影術を公開。そして今夜は衝撃の第二夜として、篠山紀信さんだけが知る撮影秘話を大公開です。

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 三島由紀夫 幻の写真集

【1970年】
アジア初の国際博覧会大阪万博』が行われ、日本は高度経済成長に湧いていたその年、29歳の篠山さんはある天才作家が亡くなる1週間前まで、幻となってしまった写真集を撮影していました。

 

f:id:kei561208:20170918143902j:plain
※三島氏と聖セバスチャンについてはこちらを参照 

 

2017年9月7日『ゴロウ・デラックス』より一部抜粋

 

先日も『ゴロウ・デラックス』三島由紀夫氏の発見された未公開テープを起こした課題図書を取り扱いましたが、この写真は亡くなる1年ほど前。これはかの有名なグイド・レーニ 『聖セバスチャン*1の殉教図』をモチーフに「自分が(モデルを)やるからお前、写真撮れ」と言われたのがきっかけ。

※下記はゼノア(ジェノバ)のパラッツオ・ロッソに所蔵されている『聖セバスチャン』矢が2本のタイプ。

 

f:id:kei561208:20170918150148j:plain

 

撮影した写真を三島氏が気に入り、『男の死』という男のいろんな死に様を考え、1年がかりで写真集にしようと撮っていたものの、最後の写真を撮った1週間後に例の三島事件*2が起こってしまうのです。その当時のことを篠山さんは言います。

 

篠山:僕はね、撮ってるときにね、いつも死について話をしてたんだけれど、本当に三島さんが死ぬなんて全然思わなかった。
吾郎:まったく、そういう前触れもなかった?
篠山:なかった。僕はね、毎回死のことについて考えるでしょ。三島くんも"血糊はMax Factorの何番がいいから"って、"あそこ行って買っておいてよ"とかね。そんなことまで喋ってたわけよ。そうしたらね、最後の撮影の1週間後に亡くなられたんです。結局はね、この写真集は出てないんです、今まで。
外山:え~。
吾郎:あ、そうなんですか。
篠山:うん。あまりにも絵が残酷なものだからね。
外山:どこかにしまってあるんですか?
篠山:教えませんよ。しまってある場所なんて。
吾郎:この写真は見てもいいものなんですか?
篠山:だからそれは、この写真はもう1枚あるんですけれど、これは三島さんが生前中にもう"いいよ""出そうよ"と言って出した写真。
吾郎:え~、じゃあ、誰も見ていない写真がまだあるんですね。見してくださいよ。どこかにしまってあるんですか?
外山:ねえ。

篠山:でも写真家ってね、撮った後にすぐ亡くなられることとかね、いろいろと多いですよ。そういうものに立ち会わざるを得ないってこともありますよね。
吾郎そうなんですかね。
外山:ねえ。
篠山
:考えてみたら、写真ってさあ、死んで行く時を記録してるだけじゃないですか。撮った瞬間にもう過去じゃないですか。ねえ、だからやっぱり写真と死っていうのはね、関係があるんですよね。
吾郎:じゃあ、本人もそれを考えての、ことだったのかもしれないし。なんだったんだろうね、この表情の向こうで何を考えてたんだろう。

※2017年9月14日『ゴロウ・デラックスより一部抜粋

 

togetter.com

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 写真家人生を変えた一冊 

【1971年】
アポロ14号の月面着陸が世界中で話題になった年、その快挙に触発された篠山さんは宇宙で撮影されたような写真が撮りたいとアメリカのカリフォルニア州にあるデスヴァレー国立公園でヌードを撮影。その芸術写真が高く評価されます。

 

f:id:kei561208:20170918173200j:plain

f:id:kei561208:20170918173218j:plain

 

2017年9月7日『ゴロウ・デラックス』より一部抜粋

 

 そして30歳のときに撮影した一冊の写真集が、篠山さんの人生を変えてしまいます。

 

f:id:kei561208:20170918174434j:plain

 

『オレレ・オララ(1971年)』ブラジルのリオのカーニバルを撮影した1冊。

 

吾郎:凄かったです。
外山:ねえ。ブラジルに行かれたんですね。
篠山:そう、ブラジルのリオのカーニバルなんですね、時の写真なんですけど。まあ、この前僕は一番初め、コマーシャルのカメラマンをやってて。で、それを辞めてから割と作家性の強い作品を結構、カメラ雑誌なんかに発表してたんです。で、そういう作品で結構評価もされてたんですけど、でも何かねえ、それが終わった後にねえ。"こういうことを次から次にやっていて良いのかな?"と思ったんです。なんか僕が。本当にこれから先、デスヴァレーの写真をもっと超えるんだったら本当に月に行かなくちゃいけねえんじゃねえかと。そんなことキリがないというか。
それは自分のイメージを写真に置き換えてることじゃないですか。なんか僕はそういうんじゃなくて、もっと世界の色んなことから出来ていくもののほうが写真っぽいんじゃないかなって。写真ってそういう力があるんじゃないかなって。それはもう自分がどういったって言うことを聞いてくれないリオのカーニバルに行きたいって。
吾郎:真逆ですね。
篠山:でリオのカーニバルに行きました。行ったら4日間なんですけど、4日間ね、とにかくね、一晩中もう皆起きている。皆何かサンバやってるわけ。どっかで、寝てても。サンバのリズムが聴こえるわけ。それでもう昼間、夜も道の脇みたいなところにいっぱいサンバ踊ってて、ちょっと退いてくださいって行けないんだよ、向こうに。そのときにどうすりゃいいんだって思ったときに、僕もサンバ踊りゃあいいんだ。カメラ持って、チャッ、チャッ、チャッてすうっと渡れちゃうんだよ。
吾郎:へえええ。

篠山:で、これじゃないかって。ね、物を受け入れちゃえばパッと開いてくれて、スッとそこが見えてくる。これがね、それを教えてくれたのがこの本なのです。
吾郎なるほど。
外山:はああ。
篠山:だから、僕自身が考えて、力尽くで何か作り上げようという写真は辞めようと。
吾郎:ふ~ん、なるほどね。
篠山:世の中に起こっている面白い人、事、物。そういうもののところに積極的に行って、それで一番良いタイミングで、一番良い角度で撮るのがそれが一番良い写真なんじゃないかって。って言って私は何をしたかというと、"芸能写真家"になったんですよ。
外山:芸能写真家?
吾郎:それまでは芸術使用……芸術写真家。
篠山:何をやったかというと、私は"明星
*3"の表紙、"少年マガジン*4の表紙とグラビア"ね。それから"GORO*5"とか、大衆的なメディアにガアッと行くんですよ。
※2017年9月14日『ゴロウ・デラックスより一部抜粋

 

 

そんな篠山さんの写真家人生を変えた『オレレ・オララ』には、偶然にも飛行機に乗ろうと滑った篠山さんの姿を撮った助手の写真まで掲載されているというw

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 最高傑作 山口百恵 

【1977年】
王貞治選手がホームラン世界記録756号を達成したその年、37歳の篠山さんはある国民的アイドルを撮影し、最高傑作とも言える1枚を生み出しました。

 

f:id:kei561208:20170918222548j:plain

 

2017年9月7日『ゴロウ・デラックス』より一部抜粋

 

吾郎:これ、凄いですねえ。
篠山:これはねえ、山口百恵の写真は数あれど、やっぱりこれが最高傑作だと思うんです。
吾郎:綺麗。
外山:本当にね、綺麗。
篠山:これね、70年代を語るときに、山口百恵を抜きにしては語れないぐらい大変な人なわけじゃないですか、時代的に。でも、大してね、活躍している時間が結構短い*6んだよね。
吾郎:そっかあ。

篠山:ね、大して長い期間活躍しているわけじゃないんだ。それで、これが77年*7でしょ。
外山:はい。
篠山:だから、一番売れているとき。ね、一番売れているときに、"GORO"のグラビアで撮ったんだけど、"GORO"のグラビアのためにこれね、山中湖で撮った。東京から1時間ぐらいかかる。ねえ、これだけ撮るって言ったって、まあ半日はかかる。当時の山口百恵にね、半日間、湖で写真撮るからスケジュール出せと言っても絶対出さない。それで何したかというと、僕が考えたのは、このときに"少年マガジン""明星""GORO"表紙と巻頭グラビアやってたの、僕は。3誌で全部百恵さん撮るから。3誌で撮るなら全部でやったら1000万部数ぐらいあるわけだから、それだったらいいんじゃないと言って。偉いねえ、さすがホリプロ"出しましょう"
吾郎:しかも3誌とも篠山さんがやってたってことが凄いよね。表紙とグラビアを。
篠山:そう、それで朝早くから行きました、山中湖へ。それで始めはまず"明星"から始めて、"明星"はアイドルチックな格好して、湖畔をこう歩いたりなんかして、まあ、アイドルの写真みたいに撮りました。その次は今度は"少年マガジン""少年マガジン"はプールだったんだな。そこで水着を着せて、百恵泳ぐとか言っちゃって。一生懸命泳いでいるような写真を作って、いろいろ撮った。でお昼ご飯になるじゃない。まあ、それから夕方になっていく途中に、最後"GORO"だから。"GORO"は男性誌だから、ちょっと色っぽくないといけないわけ。それでまあ、湖畔に行って沈みかけるボートがあったのね。
外山:ああ。
吾郎:ああ、これそういうことですか。
篠山:そこにちょっと百恵さん行ってみてよ。って言ったら、百恵さんが"いいですよ"と行って、ごろんと寝た。いいじゃないですかあ、これ夕陽かなんかがこうパアッと入ってきて、もの凄い色っぽい良い写真なんだよね、これが。それでね、皆に聞かれるの。これ、どうやって撮ったんですか? どういうことを百恵さんに言えば、こういう表情するんですか?って。これよく考えたんだけど、単に百恵さんは疲れてたんだと思うって。

吾郎:あ、これぐたっとしている感じ。
篠山:そりゃあそうだよ、朝から撮ってるんだもん。

吾郎:アンニュイな表情してますけど、ぐたっとしてる。
篠山:でもぐたっとしててもさ、それを色っぽく撮っちゃうさ、カメラマンの力量というのが。

吾郎:もちろんでございます。でもさ、それこそ何か人形のようにも見えるし、不思議ですよねえ、本当写真って。絶妙ですよ、足とか。それこそ水滴。
外山:ねええ。
吾郎:百恵さんはどんな女性だったんですか? 僕らはお話したこともないですし。
篠山:だからね、百恵さんはね、本当にちょっと変わった子だった。変わった子というか、普通このくらいのアイドル、タレントっていうのはさ。来るとさ、昼間来ても、夜来ても、"おはようございます"とかいうの。でしょ。そのとき同時にデビューしたのはさ、桜田淳子でさ、桜田淳子なんてさ、白いベレー帽被ってきてさ、"クックルック"とか言うのよ。

吾郎:本当に言ってるんですか?
篠山:それはまあ、気分ね。彼女は。でも彼女(山口百恵)は"こんにちは""こんばんは"っていうような人だったね。だからちょっとそういう、いわゆるアイドルチックな感じじゃないのよ。その代わりちょっと暗い感じだなっていうか、普通のこういわゆるアイドルとは違う雰囲気がすごくあった。

吾郎:それをこう表情を引き出すのって難し、何か。
篠山:難しくないの。そのまま、そのまま、そのままやってくれって言えばいいから。うん、かえってにこやかにあははとやるほうが難しいじゃない。

※2017年9月14日『ゴロウ・デラックスより一部抜粋

 

f:id:kei561208:20170413024747j:plain 山口百恵さんを撮影する上で篠山さん流の工夫

ヘアメイクをばっちりして登場してくる百恵さんが気に食わない篠山さんは、彼女のヘアメイクをぐちゃぐちゃに崩してしまうそうです。すると不思議なことに自分が思う百恵顔になると篠山さん。ちなみにそれを見ていた篠山さんの弟子が、辞めてフリーになった後に百恵さんの撮影をしようと篠山さんと同じように髪の毛をぐしゃぐしゃにしたところ、"あんた、何するのよ!!"と激怒されたのだとか。 

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain ジョン・レノン最後のレコードジャケット撮影

【1980年】
ジョン・レノン射殺事件*8というショッキングなニュースが駆け巡ったこの年、40歳の篠山さんは彼が亡くなる直前に歴史的なジャケット撮影をしていました。 

 

ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)

ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)

 

 

2017年9月7日『ゴロウ・デラックス』より一部抜粋

 

吾郎:これ、凄い有名なやつだ。
篠山:これはジョン・レノンオノ・ヨーコの最後でレコードジャケットになってた『ダブル・ファンタジー』のジャケットなんですけど。
外山:これはなんで写真撮ることになったんですか?
篠山:これはですね、ヨーコさんからあの~電話がかかってきて、"ジョンとアルバムを作るから、ジャケットを撮ってください"と話があったんです。それであの、僕もちょうどロスに、ロスに撮影してて、ロスにかかってきて、ロスからニューヨークに行って、それで撮ったんですけれども、ちょうどこの『ダブル・ファンタジー』のレコーディングをやっていたころですね。それで僕は初めてジョンとヨーコさんがレコーディングしているスタジオに行ったのかな? 初対面だけど、4日間ぐらいニューヨークにいたのかな。でも撮るのは本当に4日間でもちょっと、ちょっと切り刻んだ時間で撮ったんですけども。でもとにかく4日間僕が会えたときには全部カメラを押していたということなんですよね。で、あの~この写真はどこで撮ったかというと、ニューヨークのセントラルパークのすぐ近くにダコタというすごい古い、有名なマンションがあるんですけど、

 

f:id:kei561208:20170918235247j:plain

 

篠山:そのマンションに住んでて、そこから夕方、ちょっと時間あるからジャケット撮りにいこうかと軽い感じで。それであの二人と僕と僕の助手と、それからガードマンと、ま、いて。で夕方ね、セントラルパークをずっと歩いて、下に池があるんですよ、ちょっとした。その池があって。その池のとこにベンチがあったんで、"ちょっと座ってみたら"ってそこで"あ、良い感じだな""キスしてみたら?"みたいな、本当に簡単な感じで。"あ、いいよ"とチュッ、チュッとやって。本当に7、8枚しかない、撮った枚数は。
吾郎:あ、そうなんですか。もう最初からこういう構図が決まってて、これを狙いに、撮りに行って、ポーズさせたとかじゃないんですね。
篠山:もう全然。大体、僕はあんまりそういうのはやらないんだよね。だけど結局ね、これ全部カラーで撮ったんですよね。
外山:あ、カラーだったんですか。
吾郎:あ、そうなんですか。
篠山:そう、そう。だけど、出来上がってきたのは見たらモノクロなんで、なんでかなあと思って、ちょっと不吉な感じはしたんだけど。でも撮ってるときはまさかあんな事件が起こるとは思わないじゃない。これは1980年12月でしょ、彼が撃たれるのは。
外山:これ11月発売ですものね、このジャケット自体は。
篠山:そうそう、発売はされてるんですよ。うん、発売されたその直後に撃たれたんですよ。

 

f:id:kei561208:20170919000848j:plain

 

外山:あ、本当だ、全然違う。 まさにセントラルパークってね。
吾郎:おおおお、全然違う。池があるから。
篠山:これね、僕ね、ついこの間初めて気がついたんだけどね、この写真とね、全然違うんだよね、ほら
。(モノクロの写真は)指があるでしょ。
外山:本当だ。
吾郎:(カラーは)髪の毛をとめているあれが見えてるもんね。
篠山:そう、見えてるもんね。今日、僕初めて知りました。

※2017年9月14日『ゴロウ・デラックスより一部抜粋

 ⇒これはほん怖案件じゃ……💦

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain ジョン・レノン篠山紀信、二人きりの会話

この撮影中、ジョン・レノン氏と二人っきりになる時間があった篠山さん。そのときにはもっと英語を勉強しておけばよかったと後悔したそうですが、ジョン・レノン氏と篠山さんは実は1980年で40歳と同じ年。人生の真ん中を迎え、"ここから新たなクリエイティブな活動をしたい"という話をしていたそうです。もし、あの事件がなければ……失われた文化を思うと残念でなりません。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 篠山紀信×稲垣吾郎撮影会

いつもは撮る側の篠山さんが吾郎さんと一緒に写真を撮ることに。カメラマンは外山さん。どういうふうなポーズをに対し、"ゴロウちゃんはさ、人形みたいに知らんぷりしているの。それに僕がさ、ゴロウちゃん…(と寄り添っていく)"という篠山さんのリクエストに即座に答え、まさにドールと化す吾郎さん。パシャ、パシャとシャッターが切られる中、"嬉しいなあ"という篠山さんのコメントが嬉しいですね。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 山田くんの消しゴムハンコ

f:id:kei561208:20170919010528j:plain

今週の消しゴムハンコは『オレレ・オララ』に掲載されていた篠山さんの滑った姿w

篠山さんは爆笑し、吾郎さんは可愛い♡と語っていました。

とにかく伝説の写真家にふさわしい、まさに時代を撮り続けてきた男として貴重な著名人とのエピソードが満載。また気難しいなどのイメージがありそうな篠山さんでしたが、気取らずお話し上手のチャーミングな方で、毎回思うことではありますが、トップを極める人というのは心に余裕のある人でもあるのだなあとも感じます。

 

ゴロウ・デラックス 
〒107-8066 TBSテレビ『ゴロウ・デラックス』御中
〒107-8066 TBSテレビ『編成部』御中
『ゴロウ・デラックス』ご意見・ご感想大募集!| TBS (感想宛)
視聴者サービス部宛メッセージフォーム|TBSテレビ(要望宛)

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 『Book Bang』&他ネット記事

www.bookbang.jp

 

「LOVE DOLL」でも話題。篠山紀信の写真家人生を変えた1冊とは? 山口百恵、ジョン・レノン、三島由紀夫との撮影秘話も!? 9月14日放送「ゴロウデラックス」は必見!|BOOK PEOPLE|小学館

*1:3世紀後半にローマで殉教し、戦士・兵士や黒死病守護聖人となっていますが、実在したかは不明

*2:1970年11月25日に、日本の作家・三島由紀夫が、憲法改正のため陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を呼びかけた後に割腹自殺をした事件

*3:集英社が発行している老舗芸能雑誌である。現在は『Myojo 明星』かつては旬の俳優やタレント等を扱っていたが、改名後はジャニーズ事務所に所属する男性タレントを中心とした内容になっている。

*4:講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。

*5:小学館が1974年から1992年に発行していた20歳代をターゲットにした総合男性誌。

*6:山口百恵:1973年4月に歌手デビュー。1980年3月に三浦友和との婚約を発表し、引退を公表。

*7:"イミテーションゴールド"や"秋桜"など楽曲発売

*8:1980年12月8日に当時住んでいたニューヨークの高級集合住宅ダコタ・ハウスの入口でマーク・チャップマン (Mark David Chapman)に射殺された。ジョンは妻ヨーコ・オノと共にちょうど、レコード・プラント・スタジオ から帰宅したところだった。