『FAKEな平成史』と『ゴロウ・デラックス』
2019年1月24日放送の『ゴロウ・デラックス』第329回目のゲストは、6年ぶり(第54回 2012年7月26日放送)の登場となる日本のドキュメンタリー監督の森達也さん(62歳)森さんといえば扱ってきた作品は問題作ばかりで、代表作は1998年に制作された『A』
オウム真理教の信者たちを被写体に教団内部を撮影。テレビでは放送されなかった信者たちの様子を世に伝えた。そして近年ではゴーストライター騒動で世間を賑やかせた佐村河内守氏に密着取材した『FAKE』
なぜ"ギリギリ"のテーマに挑むのか?
例えばオウム真理教信者の『A』と『A2』、当時森さんはテレビのディレクターだったのですが、あの時期はオウムをやらないことには仕事にならない時期だったそうで、ご本人は全然興味はなかったものの、仕方がなく。たまたまギリギリになったものが、そのギリギリを狙ったんだと思われてしまったのだとか。むしろ、なぜこれがそんな評価をされるのかが疑問だったそうです。
そんな森さんの作品を平成と共に振り返ったのが今回の課題図書となる、
この中で森さんは作品を観た観客に"あること"を訴えていた。そのあることの部分を吾郎さんが朗読。
吾郎「"A"を発表したとき、上映会場で時おり、"やっと真実を知りました"と言われることがありました。
評価してもらえて嬉しいけれど、でもやはりこれに対しては、"この映画は僕が撮った真実です。もしもあなたが同じ時期に同じ場所で映画を撮ったとしたら、まったく違う真実が撮れているはずです"と答えました。
コップだって下から見れば円に見えるし、横から見れば長方形に見えます。
実際の現象はもっとはるかに多面的で複雑です。
どこから見るかでまったく変わる。
視点は人によって違う。
でも自分はこれを訴えたい。
伝えたい。
そうした文法を使うべきです」
メディアはどれが本当か、嘘かで大騒ぎをしますがどれも本当なのだと。例えば一人の人間ですらどこから見るかによって全然変わるし、このスタジオにいる場、家にいる場、家族といる場、友人といる場によってもそれぞれ顔は違う。だからといってどれも間違っているわけではなく、すべて真実であり、見る場によって変化していくためにその形は一つではないのです。
吾郎さんが冒頭でメディアに嘘をついたことはあるかと外山さんに問われたときも、嘘はないけれど、オーバーに喋ったり、サービストークをしてしまったりはするというのもその一つだと。そういう怖さを知っているからこそ、吾郎さんも発言する側として迷うと言います。
平成から制作人生をスタートさせた森さん、そして平成からアイドルになった吾郎さん。平成が間もなく終わりを告げる今回は、そんな2人の平成史を見ながら森さんの作品を振り返っていきます。
事務所に入ったのは14歳で、ジャニーズ.jrとして活動したり、グループとしてデビュー自体はしていないものの6人で活動したりはしていた吾郎さん。
そして1992年の平成4年、日本人宇宙飛行士・毛利衛さんが宇宙へ出発し、東海道新幹線「のぞみ」運転開始、この年に森さんは『ミゼットプロレス伝説』を放送します。
放送されていなかったミゼットプロレス
ミゼットという言葉を使っていますが、実際には小人プロレス。つまり簡単に言うと「低身長症*1」という身長が低く生まれた方が行うプロレスになります。やはり身長が違うため、動きが独特で面白いため、当時の女子プロレスで前座的な扱いでリングの上を盛り上げていました。見ると面白いし、身体もめちゃくちゃに鍛えているし、すごいプロだと思った森さんはドキュメンタリーにしたいと取り上げたのです。
ただ、企画書を書いた段階で「絶対こんなのは放送されない」と。小人という言葉もですが、当時人気全盛期だった女子プロの放送でもミゼットプロレスは全部カットされていたため、そういう意味では取り上げられなかったものが放送された評価は多少あったかもと森さん。当時の『ミゼットプロレス伝説』の一部が「ゴロデラ」で流れました。その一部ではテレビで放送されることについてインタビューを受ける彼らの言葉が、
「嬉しいですね、うん。一般の人に観てもらって、楽しんでもらえれば。テレビでね」
放送されることがなかった彼らですが、テレビに出ることを望んでいました。
それだけ自分たち自身がしているものがエンターテインメントであることに自負をしていたでしょうし、それを認めてもらいたかったのでしょう。けれど、それを放送してはいけないという自粛、忖度の結果、ミゼットプロレスはブラックボックスに入ってしまったのです。ミゼットプロレスに対して一番よくあったのが、「あんな可哀想な人をなんで晒し者にするんだ」という声。彼ら自身は放送されることを望んでいたのに、結局、そんな声が届くことによって自粛され、彼らの働く場も失われしまうという悪循環。それはプロレスだけでなく、一時期はCMに出たり、バラエティ番組に出たこともあったのですが、全部そういう声によってなくなるのです。ただ、その声は発する側としては善意で、 でもその善意の抗議が結果として彼らを追いつめてしまったのです。
もちろん、視聴者の抗議に対し、"彼らは出演したいのですよ"とメディア側も反論すればいいのに、反論せずに自粛をしてしまう。そこはメディアの責任でもあるのです。
パラスポーツの観客たちは……
そこで吾郎さんが慎吾くんが2018年の平昌パラリンピックを体験したときのエピソードを語ります。障がい者の方々が参加するので皆、温かく"頑張れ、頑張れ!"と応援するのかと思っていたら、ちゃんとブーイングもするし、ヤジも飛ばすし、ちゃんと試合として観ているのだと。そのスポーツを楽しんでいる姿勢にすごく慎吾くんは影響を受けたと。
小人プロレスもそうですが、実際に見れば一級のエンターテインメントだということがわかるので、小人だから、障がい者だからという目は必要がないのですが、残念なことに見せるためのメディアが機能していないのが現実なのです。
そして1999年の平成11年、「2000年問題」でパソコン業界が騒然とし、「だんご3兄弟」がおよそ290万枚の大ヒットを遂げたこの年。 森さんは「放送禁止歌」を発表。
一体、誰がなぜ放送禁止の歌を決めたのか、森さんが取材を重ねると意外なことに「放送禁止」のルールは存在せず、取扱注意とだけされていることがわかったのです。
禁止のルールなどなかった「放送禁止歌」
自分たちで仮想の圧力を作り、それに縛られる。それは単純に楽だからなのです。人は自由だと言われると何をしていいのかがわからなくなるのです。例えば野原に行って、自由に遊びなさいと言われるよりは、こっちは危ないからあちらで遊びなさいと範囲を指定されたほうが安心して遊べる。自発的に自分たちを縛ってしまう。そのほうが安心できる。それが「放送禁止歌」だと思うと森さん。そしてその「放送禁止歌」の対象にはあの世界中で有名なあの名曲が。
9.11というテロの後、戦意高揚しなければいけない時期に愛と平和を歌った『イマジン』を流すのは相応しくないということでどこかの放送局の偉い人がメールを送ったそうです。 それを見た系列といえば、じゃあ、止めようかという局もあれば、うちは放送しますよと流す局もあった。つまり「放送禁止」という一律のルールで放送禁止になったわけではなく、実際に、森さんが好きなニール・ヤング氏はチャリティ番組で『イマジン』を歌ったそうです。
すでにその当時、メディア側にいた吾郎さんはその変化はあまり感じなかったそうで、ただドラマだと昔はよくタバコを吸うシーンが多かったのが、いつの間にかなくなったり、吾郎さんもベッドシーンとかでお尻とか出ていたものがいつの間にかそういう描写はなくなっていったのはあるそうです。
そして2016年、平成28年。マイナンバー制度の利用が始まり、リオオリンピック・パラリンピックが開催されたこの年。森さんは映画『FAKE』を発表。
2014年に起きた「ゴーストライター騒動」その渦中の人物、佐村河内守氏の自宅に通い続け、1年4ヶ月にわたって密着したドキュメンタリー作品。
嘘?真実?"ゴーストライター騒動"
当時、佐村河内守氏が批判されていたのは本当は耳が聞こえているのに聞こえていないと言っていた内容で、当時、実際に会ったことのある吾郎さんもその辺は曖昧な印象だと。自分には聞こえない苦しみはわからないし、本当に辛い思いをしているんだろうなという印象しかない。後で何を言われてもと語ります。
その言葉を受け、結局、感覚というのは共有できないのだと森さん。例えば今、吾郎さんが見ている世界を森さんは見ることはできないし、その逆も然り。佐村河内氏がどのくらい聞こえていないのかは森さんもわからないものの、ただ「難聴」というのはグラデーションなのだと。なのにメディア側は0か、1。詐欺師か、まったく聞こえていないかの二択のみ。もちろん、そこで彼が責められるべきは、そこに乗っかってしまった。そしてメディアも乗っかってしまった。そういう構造だったのではないかと森さん。
だから大事なことは0か、1じゃなく、グラデーションなんだと。1.43とか、0.51といったとっても微妙だけれども面白いところがあるのにそこには興味を示さなくなってしまい、結局、0か1といった大味なものばかりで構成されてしまい、矮小化してしまうのではと森さんは危惧します。
吾郎「ありますよね。それによって結構ファンの人とか、応援してくれてる人が心配したり」
外山「それはあるでしょうねえ。あったと思う」
吾郎「そう。香取くんは芸能界辞めて画家になっちゃうとか。僕も小説家になっちゃうとか」
外山「(爆笑)本当ですよね。どこから出てくるんだろうってね」
吾郎「16年ってでもさ、映画"少女"もそうだけど、解散報道的なものが初めて出たの」
外山「あっ」
森 「2016年の始めに」
吾郎「でも何か自由にやれるところもあったりもするかな、最近はね。ま、僕も環境が変わって、仕事に関しては、内容に関しては。うん」
森 「だって6年前に比べて全然ね、稲垣さん、自由に今日喋ってる」
吾郎「嬉しいですよ、ありがとうございます。でもよく言われます。今までも別にストレスを抱えていたわけでも何でもないんですけれども、仕事もすごい何か楽しいし、何かその何か曖昧なものをやれてるというか。はっきり白か、黒かだけじゃなくて、うん。何かそうですね。特に演じる仕事では、うん。色々とそうですね。とにかく舞台や映画って比較的Vより何かこう、TVじゃ通らないような企画も通りやすい。TVも出たいですけどね。TVドラマももちろんやりたいんだけど。うん、まあ、今まで自分がやりたくても出来なかった役とか、作品とか、今年はすごい恵まれてやれてたので。そういうのが出てるのかもしれないし、すごい楽しいです」
森 「僕も来年、再来年かな。ドラマを、劇映画を撮るつもりでいるんで、もしかしたらそのときに声かけるかもしれないんで。スケジュールが開いていたらぜひ」
吾郎「あ、嬉しいです。どんなものなんでしょうね」
森 「テレビじゃ放送できないような内容なんで」
吾郎「ぜひ、出来ないものはないので」
山田くんの消しゴムハンコ
Book Bang