『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』本日(8月8日)刊行
それは7月24日(月)の山田くんのTwitterから始まった。
ありがとうございます!#ゴロウデラックス#消しゴムはんこ https://t.co/qyyjtNp0mA
— 山田親太朗(HighsidE) (@yamashin0710) 2017年7月24日
『ゴロウ・デラックス』の番組としても誕生日祝いしてくださったのを外山さんと一緒にカメラで写した山田くんのインスタグラムの背後では"三島由紀夫 人生年表"が。これは今年になってTBS社内で発見、
TBSニュースで、TBSラジオでも、そして『群像』2017年3月号でも特集された三島由紀夫氏の肉声テープに関する本が課題図書になるのではないかと推察されたわけですが、その推察は見事に当たり。8月17日の『ゴロウ・デラックス』にて課題図書『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』を、そしてゲストに久々な岩下尚史さんが出演が告知されます。
TBSが全面的に携わって出版される大切な本の宣伝に関東広域圏のみの放送である『ゴロウ・デラックス』が選ばれる。その信頼は吾郎さんのファンとして、番組ファンとしても嬉しいばかりでしたが、おそらく私たちが想像する以上のものがあるのだと気づかされたのは刊行当日の朝9時ごろ。
国内シェアNO.1の『PR TIMES』にて講談社のプレスリリースが配信。さらには販売される『群像』でも同内容の記事がツイート。
8/17放送のTBS「ゴロウデラックス」で大特集!『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』8/8刊行 https://t.co/VDKHyNeJKI #kamoshikaworks @nanakokinoshitaさんから
— 群像編集部 (@gunzo_henshubu) 2017年8月8日
『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』が本日刊行されるニュースがリリースされるのは話題性からいっても当然あり得るとは思ってはいたものの、そのタイトルに『ゴロウ・デラックス』の名前が、しかも放送日込みで配信されるとは……さらにはその夜。
明日の #あさチャン! #夏目三久
— TBSテレビ「あさチャン!」 (@TBS_asachan) 2017年8月8日
◆台風5号 一転 東京37℃予想 猛暑の #嵐 お盆直撃
◆‘#失言 ’#江崎 大臣に #北方領土 ‘テスト’今度は‘異例’#日米協定 「見直し」 #沖縄 訪問
◆#三島由紀夫 の肉声に #稲垣吾郎 さんは
これまでテレビ誌に『ゴロウ・デラックス』について掲載されたことはあっても、W.Sで取り扱われるだなんて、それだけ今回の出版に関してはTBSの本気が垣間見られますし、その本気で出版された本を『ゴロウ・デラックス』で取り上げることが出来る喜びは言うまでもありません。
2011年4月14日から始まった『ゴロウ・デラックス』が回を重ねることに番組としての信頼を出版社からも、作家さんたちからも得られてきたと感じていましたが、それがこういう形となって現れるのは本当に嬉しいです。何十という、何百というお褒めの言葉をかけていただくことももちろん嬉しいですけれど、無言の信頼に勝るものはないと思います。もちろん、その信頼に応えられるよう、吾郎さんも外山さんも、山田くんも、そして番組スタッフ一同でより一層の努力は必要になっていくでしょうが、その努力に一視聴者として、何よりも一ファンとしてしっかりと声を上げ続けていきたいと思います。
P.S:2017年8月9日(水)「あさチャン!」放送に関する情報追加。
久々の全国区に吾郎さんが放送されると知り、朝の7時より色めき立つTLの中、
「三島由紀夫の肉声に稲垣吾郎さんは」
— 群像編集部 (@gunzo_henshubu) 2017年8月8日
まもなく7時代から放送開始です。 https://t.co/q8R9mg3upG
あさチャン!三島由紀夫コーナーは7:50前後になるそうです。
— 群像編集部 (@gunzo_henshubu) 2017年8月8日
稲垣吾郎さん、TBS「あさチャン!」で三島由紀夫についてコメント。
— 群像編集部 (@gunzo_henshubu) 2017年8月8日
「生きながら死に方を探してるような、武士道精神の人だったんですね」https://t.co/pxVEsA9wTk
三島由紀夫氏の未公開肉声テープを掲載した雑誌『群像』さんの中の人が朝から始まる前も、そして放送後も吾郎さんのコメントについて丁寧にツイートをしてくださるというありがたさ。
さらに出版の編集に携わっている『TBS ヴィンテージ クラシックス』エグゼクティブプロデューサーである小島英人さんが放送後にこのようなコメントを。
♯稲垣吾郎 ♯ 三島由紀夫 ♯ 告白
— 小島英人 (@jimahide) 2017年8月9日
あさチャン!のエンディングで
稲垣吾郎さんの映像がながれました。三島由紀夫の14年振りの新作、「三島由紀夫インタビュー告白」を読んでの感想でした。https://t.co/n19aT7eljU
♯ 稲垣吾郎 ♯ 三島由紀夫
— 小島英人 (@jimahide) 2017年8月9日
稲垣吾郎さんはまず三島由紀夫の声を聞いて「こんな声をしているんですね」と涼やかな眼玉をきらきらさせて驚かれました。それから熱心に「三島由紀夫 告白」を読み込みこう語りました。「武士みたいな人。
生きながらにして死に方を探している」と。
♯ 稲垣吾郎 ♯ 三島由紀夫
— 小島英人 (@jimahide) 2017年8月9日
さらに稲垣吾郎さんは三島由紀夫の考え方に触れ「武士道精神に似ているんでしょうね」と言われました。稲垣吾郎さんは、文学者か若き哲学者然として
知的な雰囲気のある人。
コメントもいいですね。
写真をお見せてきないのが残念です。
稲垣吾郎さんが三島由紀夫を読む姿はとっても格好よいと思いました。稲垣吾郎さんは内省的で思索の人と感じます。ひりひりするような感性と観念の三島由紀夫の文学とは相性が良さそうです。すべて8月17日のゴロウ・デラックスでわかりますね。今、稲垣吾郎さんが読んでいる三島由紀夫の本も気になり
— 小島英人 (@jimahide) 2017年8月9日
♯稲垣吾郎 本来は稲垣吾郎さんは月だと感じていた。美しい翳り。神秘。美意識。三島由紀夫の特質に何と近しいことか。冴え冴えとしたクールな月の光。吾郎さんにも三島由紀夫にも感じる。あれから・・月食のようだった。何処に御隠れだったか。あさチャン!での姿。その嬉しさ。太陽の喜びになった
— 小島英人 (@jimahide) 2017年8月11日
こちらの小島さんは以前、吾郎さんが舞台『No.9 - 不滅の旋律 -』をされたときにも『TBS ヴィンテージ クラシックス』のFacebookで役者・稲垣吾郎を素敵な言葉で褒めていただいた方ですが、『ゴロウ・デラックス』MCを務める稲垣吾郎もまた素敵な言葉で褒めていただきました。
これが吾郎さんが、そして番組スタッフの皆さんが7年かけて築き上げてきた形かと思うと感慨深いものがこみ上げてきます。だからこそ、これからも『ゴロウ・デラックス』を大切にしていかねば、改めて思います。
『編集長 稲垣吾郎 #31』(2017.08.02放送分)
8月2日(水)に放送された『編集長 稲垣吾郎』の第31弾。
■「GORO's Column」……私の実家の父は、最近甘酒造りに凝っていて、健康のために飲んでいます。料理にも使えるんだよとこの番組のHPに紹介してくださるレシピを教えたら、飲む以外知らなかったそうで喜んでました。ありがとうございます。退職後、実家の家事は父がすべて担っていて、ご飯が出来たら「お~い、ご飯出来たぞ!」と母を呼んでくれるそうです。
いや、良いですねえ、お父さん。ご飯係りなんですね、今。何か気持ちわかるなあ。退職したら、ひとつの楽しみになりますよね、料理って。多分、今までも料理やられてたのかなあ。でも楽しいですよね、きっとね。ふ~ん。何か幸せそうな、食卓が想像できますけれども。うん、良いですね。でも何か男の人の料理って凝り性ですからねえ。また、今までにない食卓になっていくんじゃないでしょうかね。う~ん、何かほっこりしていて、すごい温かいメールでした。
The Brand New Heavies - Dream Come True (original vers 1990)
■「GORO's Search」……さあ、この前の放送でですね、最近コーヒーに興味があると言ったところですね、たくさんの方からコーヒー情報を頂きました。今日のですね、「GORO's Search」はですね、コーヒーの美味しい入れ方を伝授していただきます。教えてくださるのは浅草にある『SPLENDOR COFFEE』の清水英貴店長です。
『SPLENDOR COFFEE』の由来
スプレンダーコーヒーはブルックリンをイメージしたカフェ。ブルックリンで働く人には自覚を持って一人一人が行動してる方が多いため、テイストや香りで自分を取り戻す、みたいなブルックリンのカフェのあり方が明確です。
豆の選び方
ワイン同様、豆もその土壌によって味が変わってくる。例えばエチオピアのような中東付近はベリー系の味だったり、ナッツ感とかチョコレートっぽい味だとブラジルだったりと大陸によって味の変化が出てくる。
焙煎の仕方
また焙煎の度合いによっても味に変化は出てくる。深煎りで焼けばナッツやチョコレートっぽい苦味が生まれ、朝煎りだと軽くて甘みがちょっと残るようにて、味わいとしてはちょっと紅茶に近い感じフルーティっぽさが出てくる。
ペーパーフィルター
吾郎さん自身はペーパーフィルターを使用していますが、フィルターにはアルミフィルターとペーパーフィルターの2種類があり、アルミフィルターを使うと豆感が凄く出てしまうのに対し、ペーパーフィルターは味わいがすっきりした感じになる。
吾郎さんお好みのコーヒーは?
わからないから、僕にあったコーヒーを選んでとわがままな吾郎さんのために、エチオピアの豆が好まれると紹介する清水さん。"僕、エチオピアの豆買ったことある!三軒茶屋のカフェで"(吾郎さん💦)という話からぜひうちにも来てくださいとお誘いする清水さんに、"行く、行く。行きますよ、もう。ここまで話したから"と言ったので、実際のレクチャーは実地で行われるようですw
とりあえずエチオピアの豆を選び、焙煎は吾郎さんがフルーティな香りを好むのであれば浅煎りで……。だがしかし、実はコーヒーというのは鮮度の問題もあり、豆のまま購入し、飲む都度、焙煎するのが一番美味しい飲み方なのです。それを聞いた吾郎さんは、後はワインと同じで経験値を増やしていくしかないと気づく吾郎さんなのでした。
⇒「日々の生活で本当にもうね、いつでも近くにあるものだからこそ、やっぱり高めていきたいなというのがあったので、そういうとここだわったほうが幸せじゃないですか」うん、この言葉が吾郎さんそのものだと感じます。さりげない対話はもちろんのこと、こういった何気ない会話にある至言の言葉、そういうのも大切にしていきたいと思います。
■「GORO's Break Time」……編集長、はじめまして。SMAPさんの『はじめての夏』をリクエストします。当時、中学生だった私は自転車で通学していました。"自転車を立てかけて"という歌詞にこんな素敵な恋愛をしたいなと思いながら聞いていたのを憶えています。
いいですねえ、これ。"自転車を立てかけて"って何か夏草の上をね、そう、何か印象的ですよね、この出だしのフレーズがね。本当に僕もこの曲が"夏!"って感じがしますね。ま、初めての夏なんですけど、とにかくでも、このときの夏っていうのは1992年とか、3年なのかなあ。すんごい暑くて。あの京都南座でお芝居やってたときですよね。そう、そうあの南座。あのときこの曲をやってたんで、僕はすごくその思い出が過りますけれども、ねえ。でもナナさんは中学生かあ、ねえ。
何か昔話ばっかりになっちゃいますけれども、それでは聞いてください。
SMAP『はじめての夏』
■「GORO's Essay」……編集長に質問です。私は赤ワインが好きなんですが、いつもコルクを開けるときに途中で割れてしまい上手く開けられません。なのでコルクではないワインを買ってしまいます。上手にコルクを開けられるコツってありますか?
う~ん、基本的にはコルクに対して、そのスクリューが真っ直ぐ入っていないんだと思うんですね。あの~、もちろん、そのどんなソムリエナイフというか、ワインオープナーを使ってるのかちょっと分からないからアレなんですけど。ソムリエナイフではないよね、多分ね。開けるのが苦手と言ってるぐらいの方なので。僕なんかはソムリエナイフで憶えちゃったから、逆にソムリエナイフの方が早いんですよね。所謂こうやってグって引き上げるワインオープナーよりもソムリエナイフの方が早く開けられてしまうので使ってますけれども。
ま、スクリューをなるべく真っ直ぐ入れるっていう事。でもねえ、これ女性やっぱりねえ、固いんじゃないかなあ。ワインによって凄く固いものもありますし、むしろ柔らかすぎてコルクが折れちゃう場合も。うん、熟成が進んでいるワインとか、まあ、コルクを途中で替えることをリコルクって言うんですけども。リコルクしていない、もう何十年物のワインとかだったら、もうボロボロですからね、コルク。もう無理ですからね、開けるの。そおっと入れていかないと。
結構、難しいんですよね。だからKさんの言うとおり本当にワイン、コルクじゃないのでも全然いいんじゃないかなって最近思うんですよね。所謂スクリューのキャップシール、やっぱニューワールドのワインなんか、ニュージーランドとか、ねえ、やっぱり最近多いですから、そういうスクリューキャップ。やっぱり何十年寝かしたりとか、熟成させたりするわけではないので、やっぱりお手軽なね、普通にこうデイリーワインとして扱うようなものはもうスクリューでいいんじゃないのかなって僕はたまに思うんですけどね。
まあ、高級ワインはやっぱりコルクであって欲しいし、もちろんコルクから香りがついたりもするので。まあ、こればっかりはいろんな考え方があると思うんですけれど。でもお手軽な価格であるデイリーワインとかだったら、もう皆スクリューキャップに替えちゃっていいんじゃないかなって僕はちょっと一ワインファンとしては思ってますけれども。う~ん。真っ直ぐ入れるの、今度やってみてください。コルク上手に。怪我しないように。結構、危ないのでね、本当に。はい。開けやすいワインオープナー、今、いろいろあると思うのでね。うん、自分にあったモノを使うといいんじゃないのかなと思います。怪我には気をつけてください。
■「GORO's Music Library」……小田和正さんの『さよならは言わない』をリクエストします。2009年に放送があった「トライアングル」の主題歌です。若くて熱い舜が大好きでした。冬ドラマだったのでスーツやコートが毎回違って、そんなところもファンはきゃあ、きゃあ楽しみました。江口さん、北大路欣也さん、小日向さん、大杉漣さん、佐々木蔵之介さん、谷原章介さん、堺雅人さんといい、良い男オンパレードでした。「恋と音楽」でご一緒した浅野さんもいらっしゃったりとまた見返したくなりました。リクエストよろしくお願い致します。
小田和正『さよならは言わない』
懐かしいですねえ、2009年なんですね。2009年、もうそんなに経つんですね。関西テレビ開局50周年、そうそうそう、もうねえ、なんか複雑なストーリーで最後の方、ちょっと難解になってしまってプロデューサーさんも凄い大変だったドラマなんですよね。誰が犯人だか分からないみたいな感じで。
でもやっぱり、そうですね、僕はいろいろな方と共演できたのって凄い面白かったですし、うん。ねえ、浅野さんともこのとき会っているんですよね。やあ、とにかくスケール感の大きなドラマで、うん。ねえ、こういう東京・大阪・パリ・上海が舞台だったんで、こういう本当にスケールの大きいドラマっていうのは、ねえ、今後やって欲しいですよね、また。
メールアドレスは“goro@joqr.net”。お葉書きの方は郵便番号105-8002 文化放送「編集長 稲垣吾郎」まで。お相手は吾郎編集長こと、稲垣吾郎でした。それではまた来週、バイバ~イ♪」
今回の「編集長 稲垣吾郎」は「コーヒー」特集!
先日からコーヒーを飲むようになり、「詳しくなりたい」とこぼしていた編集長のため、専門家の方に話を伺いました。
浅草にあるSPLENDR COFFEEの清水英貴店長によると豆の産地、焙煎の強さ、粉に挽く粗さ、さらにはフィルターによっても味が変わるとのこと。
できればお店で焙煎したもらったものを豆の状態のままで持ち帰り、飲む前に挽いて淹れて欲しいと言っていました。フルーティな香り、しっかりした味わい、すっきりした飲み口・・・などなど、さまざまな好みが分かれます。
お店の方と話をしながら、自分好みのコーヒーを見つけるのも楽しいかもしれませんね。
引き続き、「私は〇〇女子です」という情報や、吾郎編集長に取り上げて欲しい話題を送ってくださいね!!
⇒"コーヒーを飲むようになり、「詳しくなりたい」とこぼしていた編集長のため、専門家の方に話を伺いました"……ファンも甘ければ、スタッフも編集長には甘々な『編集長 稲垣吾郎』なのでしたw
追悼・日野原重明先生と『ゴロウ・デラックス』
2017年7月27日放送の『ゴロウ・デラックス』第259回目は、
2017年7月18日、聖路加国際病院名誉院長・日野原重明さんがお亡くなりになりました。享年105でした。この番組にも2年前にご出演していただき、いろいろなお話を聞かせて頂きました」
外山「105年という長い歴史の中で日本の医療界のために尽くし、数々の改革を成し遂げた方です。更にその人生の中では日本の歴史的事件とも大きく関わり、社会に対しても影響を与えた方でした」
吾郎「今夜は日野原重明さんを偲んで、以前ご出演していただいた際の未公開部分も含め、105年の生涯を振り返りながらお送り致します」
日野原重明先生が『ゴロウ・デラックス』にご出演くださいましたのは、2015年10月22日。104歳のお誕生日を迎えた後でした。その日の課題図書は、
生涯、新しいことにチャレンジをし続けてきた日野原先生は、98歳になってから始めた俳句をまとめた本がこの課題図書でした。
日野原「毎日、3~4句か、5句。1日にですね。今まですね、俳句なんか作ったことがなかったんですがね、"俳句でもやってみようかな"という気持ちになったんですよ。それからですね、どんどんと出るんですよ、俳句が。作れば作るほど」
吾郎「いやだって凄い数ですよね」
それは例えばこんな句、
日野原「私はわざわざ日本から来たんだけれどもね、"ヘリコプターに乗りたいと思いますが何か年齢の制限がありますか?"と聞いたんですよ。そしたらね、"99歳まではいいけど、それ以上はダメだ"と。私はそのときにね、"実際は102歳ですがね、まあ、99歳でやってください"ってね、電話で頼んだら"いいですよ"ということで」
サービス精神旺盛な日野原先生
実はとても耳の良い日野原先生は他の医師より聴診器の使い方が上手いそうで、この日は特別に吾郎さんの心音を聴いていただくことに。先生の前まで行き、ジャケットを開いて胸を差し出す吾郎さんに"規則正しく打ってるけど、ちょっとあんたも緊張しているからちょっと早いね"と言われる吾郎さん。外山さんもぜひと促され、嬉しそうに心音を聴き、"雑音は全然ない。綺麗な音、心臓の音は若い"と言われます。
日野原先生の歴史
1911年、山口県山口市に生まれた日野原先生。ちなみに翌年の1912年は「タイタニック号」が沈没、その2年後となる1914年には第一次世界大戦が勃発し、まさに激動の時代の中、6人兄弟の次男としてすくすくと育っていきました。
満州事変の最中の1930年(20歳)、京都帝国大学医学部に入学。翌年、大病を患い、1年の休学を余儀なくされるも、1941年(30歳)、聖路加国際病院に赴任。さらにその数ヵ月後、太平洋戦争が始まりました。ちなみにこの時期診た患者さんにはこんな方も。
日野原「ああ、ありますよ」
外山「永さんがね、小さいころ身体が弱かったので、それで入院して日野原先生に診ていただいたって仰ってました」
日野原「あります、ええ」
1946年(35歳)には第一子が誕生、プライベートでは男の子3人の良き父親としての一面も。そんな日野原先生が戦後まもないころに渡米。日本とは違い、アメリカの医療としての意識の高さに刺激を受けます。そして帰国後、
1954年(43歳)日本初の人間ドック開設メンバーとして奔走
今となっては当たり前のようにある「人間ドック」
吾郎「僕も人間ドック行ってます。年に2回行ってます」
日野原「ああ、そりゃあいい。長生きするよ」
そんな日本の医療界に革命を起こした日野原先生。その後、彼の考え方を根底から変える出来事に遭遇します。それは日本中を揺るがしたあの事件でした。
1970年(58歳)よど号ハイジャック事件
この飛行機にたまたま福岡で行われる内科学会に参加されるために搭乗していた日野原先生は、富士山上空で赤軍の人たちが"これから我々はこの飛行機を乗っ取って、北朝鮮の平壌に行くから覚悟しろ"と言われてしまいます。麻縄で後ろ手にくぐって動かれないよう、トイレにも行かれないようにされてしまいます。しかし、操縦士が機転を利かせ、平壌に向かうと見せかけ、38度線を横切ったら左へ、左へと下りていき、(韓国の)金浦空港に着いたのです。1度は死を覚悟した日野原先生ですが、人質は全員無事解放。直後のニュース映像には日野原先生の姿が。
この極限状態の中で感じたことは日野原先生の考え方に大きな影響を与えたそうです。
この事態に聖路加国際病院は外来を休止し、すべての被害者を受け入れました。その陣頭指揮を執ったのが、当時の医院長である日野原先生(83歳)
第1日目の収容患者総数は640名。それだけ大勢の患者を収容できたのは、病院新設時のある信念のおかげだと言います。
こうして首都・東京を襲った未曾有の危機に日野原先生たちは大きな貢献をしました。さらに翌年の1996年、日野原先生は医療業界にある革命を起こします。それは私たちがよく知っているあの言葉を作ったこと。
日野原「そうですよ。大人の病気と成人病とよく言ったでしょ、政府は。大人の病気なんて名前ではおかしいって言ってね。あなたたちの生活習慣が間違っているから罹る、それが生活習慣病」
吾郎「成人病という言い方がそもそも変ですよね。成人になったら必ずイコールにならなきゃいけない、みたいな」
日野原「そうですよ、間違ってる。私は生活習慣病という新しい名前をつけた」
日野原先生のご自宅へ
番組では特別に日野原先生のご自宅へ招き入れていただきました。お邪魔したのは外山さんですが、広々としたリビングには先生直筆のお花の絵が飾ってあったり、104歳のお誕生日会をした後だからか、たくさんのバルーンが所せましと飾られていました。また胡蝶蘭など、お花もたくさん。皇后美智子様とのお写真や、文化勲章をいただいたときの森光子さんや当時の小泉首相とご一緒した、そうそうたる顔ぶれとの写真も。
素敵なお庭には日野原先生が好きなオリーブの樹も植えられていたり、そして次に案内されたのは先生のお部屋で、オシャレな先生はネクタイを500本ほど持っていたり、先生の書斎へ。半世紀以上にわたる膨大な書類や本が貯蔵されているため、そこかしこに大量の本が。中には"新渡戸稲造"氏の書類も。実は日野原先生は "新渡戸稲造"氏ととても親しくいていたのだそうです。そんな日野原先生の生活と性格が垣間見られる時間でした。
10年手帳
日野原先生は10年手帳を愛用しています。
例えば、ご自身の誕生日であるとか、皇后美智子様のお誕生日お祝いに呼ばれるためのスケジュールを書いていたり(吾郎:良いですね。10年後まで約束が自分自身とも出来てるのは。元気にもなるし、生きる糧にもなるし)
今後の人生の目標
日野原先生は収録後、今後の人生の目標についても話していました。
そんな日野原先生にとっての人生のゴールとは一体なんだったのか。残念ながら今となっては知ることは出来ませんが、2001年に出版され、累計200万部の大ベストセラーとなった
この本にヒントが。その一説を吾郎さんが朗読します。
人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を、今度は社会にお返ししていく段階です。
その自分を生かす場は、自分で探し求めるのです。
私にはいつもこんなイメージが目に浮かびます。
地獄の入り口で天秤を手にしてエンマ様が問うのです。
"自分の寿命を、自分のためだけでなく、他人のために使ったか"と。もし、天秤棒が"自分のため"の重さのせいで垂直に跳ね上がったりしたら、エンマ様はひと言、"極楽は無理だね"と、言うに決まっています。
人生のぎりぎりまで考え、感じ、働ける人間でありたい。そのための努力を惜しまず、ときに耐えて、授かった知恵を若い人に与えたい。
それが私の生きがいであり、私という存在に意味を与えてくれるものです」
そして朗読を終えると外山さんが「う~ん」と声を出し、同じように吾郎さんも「う~ん」と声を出します。そこには何一つ言葉はありませんが、日野原先生の生きる意味が、年齢を経てきた二人だからこそ感じ入るものがあるのが伝わってきます。
外山「先生のように常に前向きに、そして健康を意識して、日々を過ごしていきます」
吾郎「今夜は"ゴロウ・デラックス"特別篇をご覧いただき、ありがとうございました。日野原重明先生、どうか安らかにお眠りください」
ただ素晴らしい日野原先生の業績を称えるだけでなく、きちんと番組に出演した経緯である課題図書として俳句を嗜まれたお話も、そしてご自宅での茶目っ気ある可愛らしい姿も『ゴロウ・デラックス』らしさをしっかりと出した上で、吾郎さんと外山さんとで新たなコメント収録する。まさに番組として出演くださったゲストへの敬意がすみずみまで感じられる追悼の回でした。
Book Bangさん記事
恒例、『Book Bang』さんによる『ゴロウ・デラックス』日野原英明先生、追悼の回の記事がこちら↓