【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

アニメ映画『海獣の子供』感想

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2019年6月7日(金)に公開された五十嵐大介原作漫画『海獣の子供』をアニメーション化した映画を観に行きましたのでその感想を。なお、大したことは言っていませんが、これから観る予定で情報を入れておきたくない方はこれから先はご注意ください。

 

【あらすじ】
光を放ちながら、地球の隅々から集う海の生物たち。
巨大なザトウクジラは“ソング”を奏でながら海底へと消えていく。
<本番>に向けて、海のすべてが移動を始めた―――。
自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は、夏休み初日に部活でチームメイトと問題を起こしてしまう。母親と距離を置いていた彼女は、長い夏の間、学校でも家でも自らの居場所を失うことに。そんな琉花が、父が働いている水族館へと足を運び、両親との思い出の詰まった大水槽に佇んでいた時、目の前で魚たちと一緒に泳ぐ不思議な少年“海”とその兄“空”と出会う。
琉花の父は言った――「彼等は、ジュゴンに育てられたんだ。」
明るく純真無垢な“海”と何もかも見透かしたような怖さを秘めた“空”。琉花は彼らに導かれるように、それまで見たことのなかった不思議な世界に触れていく。三人の出会いをきっかけに、地球上では様々な現象が起こり始める。夜空から光り輝く流星が海へと堕ちた後、海のすべての生き物たちが日本へ移動を始めた。そして、巨大なザトウクジラまでもが現れ、“ソング”とともに海の生き物たちに「祭りの<本番>が近い」ことを伝え始める。
“海と空”が超常現象と関係していると知り、彼等を利用しようとする者。そんな二人を守る海洋学者のジムやアングラード。それぞれの思惑が交錯する人間たちは、生命の謎を解き明かすことができるのか。
“海と空”はどこから来たのか、<本番>とは何か。
これは、琉花が触れた生命(いのち)の物語。
Filmarks映画『海獣の子供』より

 


【6.7公開】 『海獣の子供』 予告2(『Children of the Sea』 Official trailer 2 )

 

監督:渡辺歩
原作:五十嵐大介
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師
アニメーション制作:STUDIO4℃

出演者:芦田愛菜(安海琉花)/石橋陽彩(海)浦上晟周(空)森崎ウィン(アングラード)蒼井優(安海加奈子)稲垣吾郎(安海正明)渡辺徹(先生)田中泯(ジム)富司純子(テデ)/他
配給: 東宝映像事業部
制作国: 日本(2019年)
上映時間:111分

 

f:id:kei561208:20190608020012p:plain  映画感想 

“一番大切な約束は言葉では交わさない”

 

まさしくこの言葉がこの映画のすべてを要約している。
原作は厚めの単行本5冊からなる『海獣の子供』これを2時間の映画へと落とし込むために、あえてこの漫画にとって一番大切で象徴的な「海に纏わる証言」は省き、あくまでも主人公・琉花が経験するひと夏の物語へと徹底的にエピソードをそぎ落とし、他のキャラクターを深く掘り下げることもしなかった『海獣の子供』ですが、それでも原作の印象が崩れることなく描かれていたのは、原作に対するリスペクトと監督の手腕が大きいでしょう。
まさしく物語は琉花がとある夏に経験する「ハレとケ」で、後半の海における「祭り」で一気に海、そして宇宙における生命誕生の神秘を描き始め、抽象的で観念的な物語となって観客を壮大な、異様なまでの映像美と音楽が襲う。そのため、どこか観客は物語というよりは海に飲み込まれ、茫然としてしまい、一体、この映画は何だったのだろう?と不思議な思いに包み込まれてしまうかもしれません。
でもそれでいいのだ。
わからないのはわからないままで、でも確かに映画を観る前と観た後では何かが違っているのだ。その何かもわからないし、ひょっとしたら永遠にわからないままかもしれない。ある日突然、そういえばあのときのあの映画が言いたかったのはこういうことなのではないだろうかとわかる日が来るのかもしれない。まさしく体感型の物語であるし、考えるな、感じろという映画でもあるのかもしれない。
あくまで映画は原作を元にした「ひとつの解釈」だとパンフレットにもあるように、それをまた観て感じるのも人それぞれ「ひとつの解釈」でいいのだと思う。海は美しいし、恐ろしく、畏怖すべきものだ。でもいい。きっとこの映画は、原作の漫画と同様、これからを紡ぐための物語なのだ。原作の漫画でも登場人物のジムは琉花に言う。 

「…見る事は信号を受け取るって事だから、例えばリモコンでテレビの操作をするのも信号だからね。見たことでこちらのチャンネルが変わることもあるかもしれない。
今までと違うものが観えたり、感じ方が変わったり……」

 

そして物語の補てんをするのがエンディングで流れる米津玄師氏の主題歌だ。
この漫画のファンで、映画化の話が出たときに自らやらせてほしいと制作側にアプローチしただけあり、米津氏が書く詩は映画『海獣の子供』が不足している部分を補い、さらに印象を強くする歌となっている。
だからこそ、この映像美と久石譲氏の音楽、そして米津玄師氏の主題歌は大きなスクリーンで、より良い音響の映画館で観るのがベストだと思う。出来るならば上映中、映画館に足を運んで、この不思議な体験をしていただければと思います。きっと、あなたの心に何かが生まれるはずです。
そして不足している部分を補う意味でも原作の漫画を読んでみるとさらに物語は広がりをみせるかもしれませんので、よければ読んでみてね。 

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f:id:kei561208:20190608020012p:plain 声優としての稲垣吾郎

ここ数年、専業とする声優ではなく、俳優の方々がアニメーション映画の声優を務めることが多く、それが役ありきではなく、俳優、タレントありきで物議を醸しだしているのは事実ですが、今回の『海獣の子供』に関しては渡辺監督が 「今回はオーデションではなく、日常生活の中で耳に入ってきて、良いなと思った人にお願いする方式を採っています」と語ったように、各キャラクターへの違和感というのはそこまで感じなかったのは確かです(まったくいなかったわけでもないですが)
主人公・琉花を演じた芦田愛菜さんはその最もたる人で、14歳という等身大のキャラクターであるのも手伝ってか、その不器用な、でも感情の揺らぎを声で演じていたのはさすがとしかいいようがありません。
そして吾郎さんについて、すでにネットでも多く聞こえていますが、まず第一声を聞いた瞬間、これは間違いなくファン以外は吾郎さんが正明を演じているとは気づかないだろうということで、スタッフロールで吾郎さんの名前を見てようやく正明を担当していたのだと気づく人が多いことが嬉しいです。良い意味で吾郎さんらしくなく、声優としての違和感を覚えさせることなく、その第一声で物事に動じることのない飄々とした正明という男を感じさせる声でした。上のほうにも書きましたが物語は琉花が体験する「ハレとケ」で、安海正明という人物は琉花がひと夏の体験を終えて日常に戻る「ケ(日常)」側の人として揺らぐことなくそこにあることが大事なのです。
正明としてそこにある。
派手さはないかもしれませんが、確実に声優として求められた以上の役割をしたのではないかなと思っていますので、また機会があれば吾郎さんの声のお仕事お待ちしております。

 

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f:id:kei561208:20190608020012p:plain 『祭り』と『誕生祭』

下にある記事(五十嵐大介、“幸福感”に包まれながら描いた『海獣の子供』誕生&創作秘話を明かす)でも記載されているように、『海獣の子供』のクライマックスとなる「祭り」のイメージとしてあげられている草野心平さんの詩「誕生祭*1」参考としてこちらにも紹介しておきたいと思います。

 

【誕生祭(草野心平詩集「定本蛙」)】

  砂川原のまんなかの沼が夕焼け雲を映してゐたが。
  もうむらさきの靄もたちこめ。
  金盥の月がのぼつた。

  蒲やおもだかが沼をふちどり。
  その茎や葉や穂のびろうどには重なりあふほどの蛍たちが。
  蛍イルミネーションがせはしくせはしく明滅する。
  げんごろうの背中には水すましが。鯰のひげには光る藻が。

  この時。
  とくさの笛が鳴り渡つた。
  するといきなり。沼のおもては蛙の顔で充満し。
  幾重もの円輪をつくつてなんか厳かにしんとしてゐる。
  螢がさつとあかりを消し。
  あたりいちめん闇が沸き。
  とくさの笛がふたたび高く鳴り渡ると。
  《悠悠延延たり一万年のはての祝祭》の合唱が蒲もゆれゆれ轟きわたる。

      たちあがったのはごびろだらうか。
      それともぐりまだらうかケルケだらうか。
      合唱のすんだ明滅のなかに。
      ひときは高くかやつり草にもたれかかり。
      ばあらばあらと太い呪文を唱へてから。

       全われわれの誕生の。
       全われわれのよろこびの。
       今宵は今年のたつたひと宵。
       全われわれの胸は音たて。
       全われわれの瞳はひかり。
       全われわれの未来を祝し…………。
       全われわれは…………。

  飲めや歌へだ。ともうじやぼじやぼじやぼじやぼのひかりの渦。
  泥鰌はきらつとはねあがり。
  無数無数の螢はながれもつれあふ。

  りーりー りりる りりる りつふつふつふ
  りーりー りりる りりる りつふつふつふ
       りりんふ ふけんふ
       ふけんく けけつけ
  けくつく けくつく けんさりりをる
  けくつく けくつく けんさりりをる
        びいだらら びいだらら
        びんびん びがんく
        びいだらら びいだらら
        びんびん びがんく
  びがんく びがんく がつがつがりりがりりき
  びがんく びがんく がつがつがりりがりりき
        がりりき きくつく がつがつがりりき
        がりりき きくつく くつくく ぐぐぐ
                  ぐぐぐぐ ぐぐんく
  ぐぐぐぐ ぐぐんく
  ぐるるつ ぐるるつ いいいいいいいいいいいいいいいいい
  ぐるるつ ぐるるつ いいいいいいいいいいいいいいいいい
        があんびやん があんびやん
          われらのゆめは
          よあけのあのいろ
          われらのうたは

     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
     ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
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