【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

『天国と、とてつもない暇』と『ゴロウ・デラックス』

2019年2月28日放送の『ゴロウ・デラックス』第334回目のゲストは詩人・最果タヒさん(33歳)
ブログやTwitterなどインターネットを駆使した発信を通じて、現代を生きる若者たちを魅了。“新世代の詩人”と評されることも多い一方、現代詩人の登竜門とされる中原中也賞を始め、伝統的な賞も数多く受賞。 

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4作目の詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は2017年に池松壮亮さん主演で映画化。 

また最近ではアーティストへの歌詞提供を行うなど、活躍の幅を広げている。 

夏になって歌え

夏になって歌え

 

しかし本名素顔も一切明かされず、その人物像はに包まれている。 というわけで今回はその最果タヒさんの登場です!

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こんな手があったのかとw

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain 最果タヒのこだわり 素顔は明かさない

雑誌などでも登場しても顔は手や本などで隠し、素顔を明かさない最果さん。それは作品の向こう側に作者の顔が見えるのがあまり好きではないため。例えば教科書などで文章を読んだ後に作者の顔写真を見てがっかりしてしまうことがあって、自分の中で掴みかけていたものが顔を知ることで急にその人のものになって完結してしまうのがすごく嫌で、自分は出来るだけ顔を出さないようにしたいのです。
それを聞いた吾郎さんが、自分たちの世界で言うところの舞台のカーテンコールで、役者の素を楽しみたい人もいるとは思うけれど、舞台の余韻を楽しみたい人もいるし、あまりを見せてはいけないんじゃないかと、そういう感覚に近いのかもと。
まずは4作目の詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』より朗読。 

夜空はいつでも最高密度の青色だ

夜空はいつでも最高密度の青色だ

 

 

吾郎:「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。
塗った詰めの色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。
夜空はいつでも最高密度の青色だ
きみがかわいそうだと思っているきみ自信を、誰も愛さない間、
君はきっと世界を嫌いでいい。
そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない

 

朗読を失敗してしまったと吾郎さんに対し、最果さんは朗読はその人が出ると。その詩をどう読んでいるのかとか、どうとらえているのか。どこを止めるか、どこに抑揚をつけるかによって変わってくるので、吾郎さんそのもので嬉しかったですと。そうやって声になった自分の詩を聴くのはすごい好きで、何かその人の作品になって返ってきている感じがあって、書いて良かったなという達成感に繋がるのだそうです。同じようにこの詩が映画化されたときも、石井監督に元にいって、新たな作品になって返ってきたという感じになり、やはり書いて良かったと感じと同時に、こんな作品が生まれるんだ、すごいと単純に観客としての喜びも感じたそうです。

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain “詩”との出会い、きっかけは“歌詞”

基本「人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく」と当たり前だからこそ思っていて、でも“ひとりだからこそ、孤独だからこそ美しい”とずっと思っていて、最果さんの詩はその根本にそれでいいんだという気持ちにさせてくれると語る吾郎さんに、“仲良しサイコー”が苦手友だち100人ハァ?と思うと(わかると外山さんw)
だからジャックナイフのような方が来るかと思っていた外山さん。
最果さんは関西出身ということもあり、喋ると“オチは?”と聞かれたりして喋るのが超嫌いな子どもになっていったそうです。 でも皆と共感するために皆が好きそうな話題ばかり喋ったりしていて、言葉に疲れている時期があって。その時期に歌詞に出合って、理解されなくていいスタンスの文章とも出合って、そのうち段々とわからなくてもカッコいい言葉はあるのだなと刺激を受け、それから詩を書き始めたのだそうです。つまり共感から逃げようとして出合ったのが詩だったのです。 

というわけで今回の課題図書より、吾郎さんがいっぱい好きな詩はありますが、その中でストレートに好きなものを朗読します。 

天国と、とてつもない暇

天国と、とてつもない暇

 

 

「星」

私たちは蒸発をし続けていた、
肌の上から煙が昇り、
それらはある朝、空までたどり着いて、
星になる、
私たちの見えないもの、
見るにはおおきすぎたりちいさすぎたりするものは、
すべてが真実で、
だからこれからもこのまま、なにも見えないのだ。
だから、宇宙はまっくろ、あなたの瞳もまっくろ、
手をつなげば、手と手の間はまっくろに染まる。
“今”とあなたがいう時、
その“今”を私は、捕まえることができない。
生きていますね、隣にいますね、
それでも、すべてが重なることなく、
永遠に並んだ状態でつづいていくことを、
受け入れることができますか?
愛していると言われる、愛していると言う、そのとき、
必要な覚悟は、
たった一人で生き続けるという覚悟だった。
私たちは並んで、立っていた。


     遠のいていく夕日、
             
             さっきまでそのすべてを、
             握りしめていた気がする。

星の、ひかりを讃えることは、
もう、やめにしませんか?

 

男性の声の朗読に喜んでくれた最果さんですが、詩の中で「ぼく」はよく書かれるそう
で、男性の中にも“私”という部分があるだろうし、女性の中にも“ぼく”という部分もあるだろうし、どういう一人称でも心の中のどこかで私のことだぼくのことだと感じる部分があるはずで、そこに響く言葉がかけたらいいなと思ったので、男性の声で聴くことによってちょっとは出来ていたのかなと実感できるのだそうです。

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain 最果タヒのこだわり、文字の選択

「星」という詩の中にも“まっくろ”とあえて漢字で書かないのは、読んで意味をとらえるのにちょっとひらがなだとタイムラグができやすいのがあります。漢字だと先に意味が来てしまうので、音の響きよりも意味をとらえて次に行ってしまう。読んだ瞬間にふわって意味がくるのがひらがなの良さかなと思って、一つ、ひとつにこだわっているのです。また、同じ本の中でも縦書きと横書きの詩があり、

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最果さんの中で横書きは軽く言葉が自分の中に入ってくる、目にポンポンと早く入ってくる短距離走のイメージで言葉をちょっと強めに書いており、 逆に縦書きは継ぎの行にいくときに首を下から上に動かすので、仰々しい感じかなと吾郎:仰々したと重さと硬質な感じが)それが良い詩を縦書きにしたりとか。感覚的なんですが、後から考えるとそういう選び方をしているなと思うそうです。

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain 最果タヒのこだわり、詩のまとまり

詩を作ったときにやっぱりこっちだったなとか、いつやめるとかあるんですか?と尋ねる吾郎さんに、編集さんが“もう無理です”“ここで修正はお終いです”と最果さん。もちろん、書いたときにこれでOKと動かしたくない詩もあるそうです。

ただ小説の修正とは違い、いかようにも出来るし、果てしないのかなとも吾郎さんは思っているらしいのですが、それに対して最果さんは自分の中で詩はあまりまとめちゃいけなくって、詩だけで完結してしまうと読む側にとっては自分には関係のない、誰かの具体的な話として受け止めてしまうため、やり直してまとまりが出来ちゃうと逆に元のバランスが悪いほうに戻したりもするそうです。

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain 詩が浮かぶのは書こうとしないとき

スマートフォンで詩を書いている最果さん。書こうとするとまとまりのある、オチのある話を書いてしまうため、できるだけ詩の書く気のない状態、例えばラーメン屋に並んでいるときとかw カレー屋さんに並んでいるときとか、人の気配がするのが落ち着くので書けるのだとか。それを聞いて、やはり顔出ししないほうがいいと。顔出ししちゃうとラーメン屋さんに並んでいるときに声かけられちゃうし、出なくていいからと代理のあみぐるみをよしよしする吾郎さんw
続いて、外山さんが一番好きな詩を朗読します。

 

外山:白く染まる冬の時間は、すこしだけ赤らんだ頬すら、
星のように眩しくて、ヒイラギの実のあいだをすりぬける。
優しくなりたいも、強くなりたいも、
弱くなりたいも、嘘つきでありたいも、
このまっしろな今年に預けて、
来年へ、とびこんでもいいのかもしれない。
愛していると言うことを、お休みして、おめでとうと言いたい。
クリスマスが私の体に、一つの区切りをつけて、やっと、
よく眠ればいいよと教えてくれる。
あなただけが好きだった、それは、孤独の形をしていた。
なにもかもを好きだった頃を思い出す、12月。25日。
 

 

そしてオンエア関係なしに“白の残滓”だとか、“フルカラー”だとか、好きな詩を最果さんに伝える吾郎さんに外山さん。 スタッフから次に行けとカンペで指示出されるものの、後書きの2行が最果さんだなと思ったとなおも伝える外山さんw

 

【あとがき】
あなたが、どんなふうに生きているのか知ることはできない。
私も、どんなふうに生きているのか教えたくはない。
……以下略。

 

そこが今日のテーマだと吾郎さん。
“俺たちは仲間だ、共感しあおうぜ”ってヤだもんねえ。一番やだもんね。そして言うだけ言ってすっかりする外山さんなのでしたw

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain 最果タヒ作「稲垣吾郎」の詩 

外山:まなざしで、触れることを知っている人。

美しさをどうやって愛すればいいのかわからないまま、
わたしは愛にばかり詳しくなった、
朝の光に体を溶かして、すべてが消えていくような、
そんなさみしさを恐れて、夜の中にとじこもる。
触れることなど必要ではない、ぼくらには瞳があるのだからと、
花を愛でる人がいて、朝を愛でる人がいて、
その声に、耳を澄ませている。
遠くの国で、降る雨の音、一瞬、きこえた、
わたしの瞳は、窓に吸い込まれていく、
朝の光が、わたしの涙に溶け込むように、ゆらめいていた。

『2月の朝の詩』

 

感動する吾郎さんに、吾郎さんのブログを読んで、どうして美しいものが好きで花を愛でているんだろうと考えたときに、花は触れないじゃないですかと。触ると崩れてしまうもので、関わり合うことがすごく難しいけれど、見ることで愛でることが出来る。きっと美しいものが好きな人ってそういうところが好きなんだろうなと。尊敬することで愛でることが出来る方なんだなと思って書いた詩なのだとか。

自分のことをわかってくれて嬉しいと言いつつ、なぜこの言葉が自分から出なかったのかなと吾郎さんw もちろん、相手はプロフェッショナルであり、自分が言語化できなかったものを形にするのは凄いと。

 

f:id:kei561208:20180622175426p:plain 山田くんの消しゴムハンコ

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f:id:kei561208:20180622175426p:plain 最果タヒさん公式Twitter

 

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