【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したのか』と『ゴロウ・デラックス』

2018年6月7日放送の『ゴロウ・デラックス』第300回目のゲストは、劇団第三舞台を結成して以来、輝かしい演劇に贈られる賞を受賞してきた劇作家の鴻上尚史さん(59歳)

『あなたは組織に理不尽な命令を出されたらどうしますか?』

特攻隊……それは1944年、太平洋戦争末期に爆弾を積んだ戦闘機で敵艦に体当たりをした特別攻撃隊のこと。「十死零生」と言われたこの自爆攻撃、戦死者は約4,000人と言われています。しかし、そんな過酷な状況の中、9回出撃し、9回生還した奇跡の特攻隊員がいたことを知っていましたか。しかもその方は2年前まで生きていたのです。というわけで今夜の課題図書は、 

 

 

この9回の出撃から生還した奇跡の特攻隊員の生涯、そして彼が亡くなる2か月前のインタビューを掲載した1冊。この本は今、16万部を超える大ヒットを記録。

f:id:kei561208:20170523013943j:plain なぜ特攻隊の本を書こうと思ったのか?

鴻上さん世代では戦争もののドラマや映画が結構あったし、その中で特攻という存在はどういう気持ちで行かれたのかと作家としても興味があったのですが、2009年に“ところで佐々木伍長だが、(中略)八度の出撃にもかかわらずことごとく生還して……”

 

特攻隊振武寮──証言:帰還兵は地獄を見た──

特攻隊振武寮──証言:帰還兵は地獄を見た──

 

 

というほんの半ページの短い記述を読み、テレビ局のスタッフに話題を振ったところ、その佐々木さんという方が札幌の病院にいらっしゃいますという話を聞いたため、これはもう会うしかないと実際に会いに行かれたのです。

 

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陸軍航空隊初の特攻隊「万朶隊(ばんだたい)」の元隊員にして唯一の生存者である佐々木友次は北海道生まれで、夢はパイロットになり、空を飛ぶことでした。その後、入団した鉾田陸軍飛行師団で操縦の高さが一目置かれる優秀なパイロットとなりましたが、ある日、佐々木さんらが所属していた隊の前に恐ろしい戦闘機が現れます。

 

吾郎:1944年(昭和19年)8月2日、立川飛行場に寄った岩本大尉は、竹下福寿少佐に内密に格納庫に案内されて、そこで異様なものを見た。

それは、3本の細長い槍が機体の戦闘から突き出た九九双軽だった。
風防ガラスで丸く鴨まれた機首部の先端から、長さ3メートルほどの見たこともない金属の細い管が3本、突き出ていたのだ。

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よく見れば、細い槍の先には、小さなボタンのような起爆管がついていた。
その根本から太い電線が延びて、機首の風防ガラスを超え、爆弾倉の方に続いている。
岩本大尉は驚いた顔で竹下少佐を見つめた。
明らかに体当たり用の飛行機だ。
細い管の先に付いている起爆管のスイッチが、体当たりすることで押されて爆発する仕掛けだ。
竹下少佐は黙ってうなづいた。
「爆弾投下器はどうなっていますか?」
混乱しながら、岩本大尉は聞いた。
「はずしてしまった。いらない機械はみんなおろした」
苦々しい答えが返ってきた。
それはつまり、操縦席からは爆弾を落とせないことを意味した。
爆弾を破裂させるには、体当たりしかないということだ。
岩本大尉の顔は怒りで険しくなった。
「ろくな飛行機も作らんでおいて」

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 特攻用に改造された戦闘機

実際にプラモデルを使って説明をしようとする際に、プラモデル好きな吾郎さんより“一式陸攻の話とかしなくていいですかと言われるものの、ばっさり長くなるので“大丈夫です”と切り捨てる外山さんが好きですw

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通常の九九双軽はこの形で、双発=二つのプロペラによる爆撃機で、4~5人が乗れるのですが、機銃が後ろに二つ、そして機首に一つついていたものが取り外され、

 

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その代わりに三つの槍のような起爆管がつけられ、通常は550キロまで入る爆弾を800キロ持たせたため、爆弾倉に入りきらず閉じられないまま飛んでいったのです。つまり、改造された九九双軽は体当たりに特化した「死の戦闘機」だったのです。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 自爆攻撃の効果は?

実は攻撃力としては体当たりをするより爆弾をそのまま落としたほうがはるかに威力が高いのです。飛行機というのは空気抵抗があるために作られているわけで、どれだけスピードを上げて特攻しようとも、爆弾を落とすスピードより半減してしまいますし、鉄板が分厚い戦艦に対して、空を飛ぶ分、身軽に飛ぶため軽い金属で出来ている戦闘機で特攻するということは「コンクリートに生卵をぶつけるようなモノ」だったのです。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 万朶隊隊長、岩本大尉の想い

そんな無茶な命令に対し、ベテランパイロットでもあった万朶隊隊長の岩本大尉は自分たちは何のために訓練をしてきたというのかと激怒。上層部には言わず、現場の整備兵たちに「爆弾を落とせるようにしてくれないか?」と伝えたところ、現場も無茶な命令に対して思うところがあったのか、「1回で帰ってこれない攻撃方法を採用する上層部がおかしい」と改造をしてくれたのです。

 

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それでも次々と同僚が特攻し、亡くなっていく中、なぜ佐々木さんは上官の命令に背き、帰還する道を選んだのでしょうか。その答えの一つが鴻上さんが佐々木さんを取材したときのボイスレコーダーに貴重な音声として残っていました。

 

鴻上:何回か猿渡参謀長としゃべってて、どこか途中で“くそ、何があっても生き延びるぞっ!!”て思いました? それとも一回目の出撃から“俺は絶対に生き延びてやる!!”て思ってました?
佐々木:一回目の出撃から戻ってきたときはチャンスだと思った。
鴻上:チャンス?
佐々木:これは帰れるかもしれないと思った。やっぱり無駄死にはしたくなかった。父親は日露戦争金鵄勲章*1をもらってきた。父は“死ぬと思うな”と何回も言っていた。
2018年6月7日(木)『ゴロウ・デラックス』より

 

佐々木さんのお父様は1904年、日清戦争の際、決死隊である白襷隊の一員として戦い、生還された方。 佐々木さんはそのお父様の「死ぬと思うな」という言葉を胸に出撃。

さらに佐々木さんが上官の命令に反抗したのにはもう一つの理由がありました。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 佐々木さんが生還した理由

当初、特攻は必ず成功させるためにベテランのパイロットが選ばれていました。佐々木さん自身は21歳でしたが、九九双軽の操縦が上手かったために選ばれました。でも実は操縦が上手な人ほど毎日死に物狂いの訓練をして今の操縦技術を取得した、いわばプライドのある人たちでもあったのです。そんな人たちに向かって操縦技術を駆使することなく、「死ね」と命令する。とても残酷な言葉だったのです。

そんな父の言葉に、岩本大尉の想い、さらには一流パイロットとしてのプライドが重なり、1944年11月12日の第1回目の出撃から生還した佐々木さんを待っていたのはとんでもない事態でした。

 

<1回目の出撃/11月12日>
輸送船に爆弾を投下し命中させて帰還、しかし帰ったら「戦死」扱い。しかも「軍神」とされていた。
⇒上官「次こそ、本当に体当たりをして死んでほしい!」

 

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そのときの新聞には「佐々木伍長操縦の四番機は戦艦に向かって矢の如く体当たり命中を遂げ……見事に撃沈し去られた」と書かれてある。実はこの特攻、陸軍としては1回目でした。その前に海軍が行った特攻では護衛空母を沈め、それなりの戦果を上げていたため、陸軍としては軍艦を沈めてくれないと困るし、沈めたはずだということで新聞に発表、「軍神」へと祭り上げられてしまったのでした。

 

<2回目の出撃/11月15日>
再度出撃。しかし、味方の戦闘機が爆発!危険を察知して帰還。そのとき、佐々木さんの地元では葬式が挙げられ、神様扱い。
⇒上官「必ず体当たりをしてこい!必ず帰ってくるな!」

 

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新聞発表は元より、天皇にまで報告は上がっているため、実際のところ佐々木さんに生きていられるのは困るのです。 

その後も佐々木さんは上官の命令に背き、生還し続けます。1944年11月25日に行われた3回目の出撃では出撃前に米軍に攻撃されて出撃中止。1944年11月28日の4回目の出撃では味方の掩護機が引き返し生還。1944年12月4日の5回目は米軍に遭遇するも引き返し生還。そんな上官の命令に逆らい続ける佐々木さんに上官は恐ろしい圧をかけます。

 

吾郎:何度目の帰還の時か、司令官が軍刀の柄を両手で掴み、ギラつく目で佐々木をにらみつけた。
「きさま、それほど命が惜しいのか、腰抜けめ!」
外山:佐々木伍長は落ち着いた声で答えた。
「おとこばを返すようですが、死ぬばかりが能ではなく、より多く敵に損害を与えるのが任務に思います」
吾郎:司令官は激怒した。
「馬鹿もん! それはいいわけにすぎん。死んでこいといったら死んでくるんだ!」
外山:「はい、では佐々木伍長、死んで参ります!」
こう叫んで佐々木はその場を辞した。

 

これは実際にその場を目撃していた人の証言に基づいたお話なのでリアルすぎるお話に、山田くんに嫌になっちゃうねと吾郎さんが尋ねれば、“ダメ、もう怖いね~”と可愛らしいコメントが。息苦しい内容の中、こうしたちょっとした呼吸が出来るシーンがあるのもゴロデラらしさなのかもしれません。

 

<6回目の出撃/12月5日>
爆弾を大型船に投下し命中させ生還。そのころ、地元では「2度目の戦死扱い」「2度目の総指揮」
⇒上官「明日、死んでこい!」

 

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それでもめげずに1944年12月14日の7回目の出撃では機械トラブルで離脱。1944年12月16日に8回目の出撃を1機でするも、馬鹿馬鹿しくなって引き返して生還。1944年12月18日に9回目の出撃をするが機体異常で引き返し生還。こうして上官の命令に背いき、9回生還した佐々木さんは終戦を迎え、地元に戻ります。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 不死身の特攻兵、その後の人生

2度も葬式を挙げられた佐々木さん、あまり多くは鴻上さんには語らなかったものの、「辛かったですか?」と尋ねたら「辛かったねえ」と答えられたそうです。そしてその当時、小学生だった人のお話によると、佐々木さんを見つけて特攻の話を聞こうとしても答えてはくれなかったと。それだけ佐々木さんにとっても特攻のお話は語りたくはない出来事だったのでしょう。

パイロットになって空を飛ぶ夢を持っていた佐々木さんでしたが、家の都合で家業の農家を継いで働いていた佐々木さん。なぜ佐々木さんは9回出撃して、9回生還できたのか。その一番の答えは佐々木さんの飛行機への純粋な想いでした。 

 

鴻上:飛行機に乗るのが大好きだったというのも大きいですか?
佐々木:ええ、大きいですね。
鴻上:何が好きだったんですか? 飛行機に乗ることの。
佐々木:私たちはあまり評判の良くない九九双軽に乗って飛んでいたけど、乗ってみたら乗りやすい良い飛行機なんですよね……。それで……このように乗って自爆したくない、という気持がありました。
2018年6月7日(木)『ゴロウ・デラックス』より

 

もちろん、お父様の言葉や岩本大尉の想いもありましたが、一番は飛行機が大好きで、空を飛ぶことが大好きで、だから1回で終わらせたくないし、大好きな飛行機を壊したくないという気持ちがすごくすると鴻上さん。

軍隊は戦艦を沈めることではなく、死ぬことを目的とした理不尽な命令を出したりとブラック企業だと思うのですが、そんなブラックな組織に対し、屈することなく戦った人がいると思うだけで勇気が湧いてくるじゃないですかと鴻上さん。その一番の原動力が“空を飛ぶのが好きだった”という単純な想いで、それがブラック組織と戦う武器になり得たことは本当に凄いことだと思います。果たしてその立場に自分たちがなったとき、毅然とした態度をとれるのだろうか、考えさせられました。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 山田くんの消しゴムハンコ

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f:id:kei561208:20170523013943j:plain Book Bang  

www.bookbang.jp

*1:かつて制定されていた日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍の軍人および軍属に与えられた。金鵄章ともいう。 「金鵄」という名前の由来は、神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭にとまった黄金色のトビが光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話の伝説に基づく。