【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

『愛のかたち』と『ゴロウ・デラックス』

2018年3月1日放送の『ゴロウ・デラックス』第287回目のゲストは女優でもあり、作家でもある岸惠子さん(85歳)

1951年、18歳のときに映画『我が家は楽しでデビューを果たし、巨匠・市川崑*1木下惠介*2など名だたる映画監督たちに愛され、数多くの作品に出演。60年以上も第一線で活躍するまさに大女優。なかでも代表作となったのは三部作映画『君の名は』

 

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空前の大ヒットとなったこの映画では「真知子巻き」*3というファッションが社会現象を巻き起こすほどのブームとなった。そんな人気絶頂期にある1957年、24歳のときに突然、フランス人映画監督結婚。女優生活から一転、フランスで主婦となった。しかし、18年後、41歳のときに離婚。その後、51歳でエッセイを出版女優業と並行して作家活動を開始

 

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2003年、71歳のときには初の小説を出版。昨年の2017年には菊池寛賞を受賞するなど、様々な業績を残し続けている。一体なぜ、国民的女優がその立場を捨て、波乱な人生を選んだのか。今なお輝き続ける岸さんの数奇で華麗な人生に迫ります。

吾郎さんと岸さんの共演というのはないのですが、実は二人は金田一シリーズという共通の作品があり、吾郎さんがドラマで「悪魔の手毬唄」を演じる際に、市川崑氏のこちらの映画を勉強で観させていただいたことがあるのです。

そして今夜の課題図書はといえば、

 

愛のかたち

愛のかたち

 

 

【“愛のかたち”あらすじ】 
化粧品会社のパリ駐在員・渚詩子。恋愛に疎かった彼女は奇妙な弁護士・ダニエルブキャナンとの出会いにより、愛の不思議に身を委ねていく物語。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 小説「愛のかたち」で描きたかった愛

 

吾郎「ちょっとミステリアスでね、何をするのかわからなくて…」
 「だから最後も結局はこの愛がどこに行くか、わからないという。恋とか、愛って常に移ろうもので、その断片を、一番炎が燃え盛ってる時を書きたかったんですね。だからどうなったかは問題じゃない」
吾郎「なるほどね。この二人どうなったのとか」
外山「そう、その先を読みたいなあって思っちゃう」
吾郎「普通は思っちゃうんだけど」
 「そこは我慢して」
吾郎「でも、何か僕思ったのは、この年になって恋愛をするってことは、こういうことが必要なのかなって思って。ただダラダラお付き合いするのではなく」
 「つまらないですよね」
吾郎「もちろん、僕はまだ独身なので」
 「え、あ、ああ、そう?もったいないわねえ」
吾郎「そうですねえ。それに何かこういう恋愛をしてみたいなとか」

 

というわけで、吾郎さんが憧れるシーンを朗読。舞台は奇妙な弁護士・ブキャナンが操縦する小型飛行機の中、詩子がブキャナンに惹かれ始めていくデートシーン。この場面は岸さんの実体験が活かされているそうです。

 

ナレーション(外山):詩子は、澄み切った青い空に浮いていた。
鳥肌が立つほど怯えている自分をどう落ち着かせてよいのか分からなかった。
飛行機を操縦するのが今のところ、いちばん心地よいストレス解消になっている、というダニエル・ブキャナンの誘いを断り切れなかった自分を、後悔しても遅かった。
空は青く、ウペット(白粉のパフ)と呼ばれているフランス独特の、綿のように柔らかい雲が眼の前に漂っている。
ブキャナン(吾郎)「詩子さん」
ナレーション(外山):幾度目かの呼びかけにはっとした時、ウペット雲の層が滝のように激しく詩子の心臓をめがけて落ちてきた。
空の中から地球の中心に向けて落ちてゆく、しゅわーっとした音色を持つ恐怖が全身を包み、夢中で絶叫した。
自分の叫び声に驚いて更に小さく叫んだ詩子の手が隣で操縦するブキャナンの手にあたたかく握られた。
ブキャナン(吾郎「大丈夫ですよ。怖かったですか」
詩子(外山)「……何が起こったんですか、もしかしてエアポケットに落ちたんですか?」
ブキャナン(吾郎)「いや、落としたんです」
詩子(外山)「まさか! エアポケットって作れるものなんですか? どうして、どうやって?」
ブキャナン(吾郎)「ちょっとガスを抜いたんですよ」
詩子(外山)「ひどい人! どうしてなの? 女を怖がらせる趣味がおありなの?」
ブキャナン(吾郎)「年に何回もパリ・東京を往復しているあなたなのに、プロペラがダメなんですか。幾度よびかけても聞こえないようだったし、あなたの意味不明の怯えをショック療法で治したかったんですよ。驚かせちゃって、ごめんなさい」
詩子(外山)「いやだ! 許さない」
ブキャナン(吾郎)「フランス流に“ミルフォワ・パルドン(千回ごめんなさい)と言ってもダメ?」
ナレーション(外山):お茶目な目に艶があった。
詩子(外山)「悔しいけれど……今回だけならゆるす」
ブキャナン(吾郎)「今回だけなら、ということは、また乗ってくれるということですね」
詩子(外山)「言葉尻をうまくとって! 悪い弁護士先生だ!」
ナレーション(外山):ダニエル・ブキャナンは。愉快そうに笑った。
詩子の手は握ったままだった。
ブキャナン(吾郎)「許してもらったお礼に、世界一上手いキス・ランディングをして見せますよ」
詩子(外山)「わたしの手を握ってくださっている手、お返ししましょうか?」
ナレーション(外山):詩子にも、軽やかな茶目っ気が乗り移ってきた。
ブキャナン(吾郎)「大丈夫。ぼくのパイロットとしての腕は達人の域ですよ」
ナレーション(外山):キス・ランディング……ほんとうにそれは見事な着陸だった。

愛のかたち』より一部抜粋

 

このエアポケットに落ちちゃうのが恋に落ちた表現のようで憧れる吾郎さん。

こうして作家としても活躍する岸さん。ここからは岸さんがこれまでどんな人生を歩んできたのかを振り返ります。

f:id:kei561208:20170413024747j:plain 1949年(16歳)映画撮影見学中にスカウトされ女優の道へ

そしてデビューからわずか2年後の1953年に代表作『君の名は』に出演。どれくらいのヒットとなったのかというと、

 

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その年の配給収入ランキング第1位第2位を占め、翌年の第3部でも第1位を獲得。そして岸さん演じる主人公・真知子のスカーフの巻き方が大流行し、町中がスカーフを「真知子巻き」する女性で溢れかえったほど。しかし、この「真知子巻き」には知られざる誕生秘話が。

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 「真知子巻き」誕生秘話

実は「君の名は」を撮影していた当時は夏で、岸さん演じる真知子は割に襟の開いた服を着ていたのですが、雪が降ってきてしまったのです。あまりの寒さに防寒として持参していた極細のスカーフを巻いたらそれが流行してしまったと。ちなみに松竹はこの映画のおかげでビルが建ったそうですw

f:id:kei561208:20170413024747j:plain 1957年(24歳)フランス人監督結婚

日仏合作映画「忘れえぬ慕情の撮影で出会ったフランス人映画監督、イヴ・シァンピ氏*4と結婚。イヴ・シァンピ氏は映画人っぽくなく、岸さんをごく普通の女性として扱ってくれた、大海原のような寛大で、懐の深い人で、岸さんへと“あなたは好奇心が強いし、行動力もあるし、日本だけ見ているのはもったいない。世界中を見なさい。まずヨーロッパを見なさい。それでも日本のほうが良かったら帰ってきたらいいじゃないですか”と言われて、ならばパリに行ってみようと決意したそうです。ただし、岸さんご自身が若気の至りと語るほど、当時、海外渡航するのも大変だったのです。

 

<日本人の海外渡航事情>
太平洋戦争以降、民間人の海外旅行は厳しく規制されていた時代。国際結婚して海外へ移住など考えられなかったのです(1964年4月1日より自由化

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 女優引退を覚悟、パリ移住を決断!

当時はパリに行くのにも7つの国に給油のために寄り、渡仏に50時間もかかるという時代。 1974年、当時のご自宅を岸さんが紹介している貴重な映像がTBSに残っていたため、視聴することに。吾郎さんからすると何もかもが美しくて、憧れてしまう生活。そんな華麗なパリ生活の中には、歴史に名を残す著名人たちと交流を深めた日々も。

 

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ウィリアム・ホールデン氏だけでも十分に豪華ではありますが、 実はこの席の前にはオードリー・ヘプバーン氏が座っており、彼女が撮った写真なのです。2人で岸さん宅に遊びに来ていらしたそうなのですが、残念ながら岸さんはオードリー・ヘプバーン氏の写真は撮り損ねてしまったのだとか。

 

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ジャン・コクトー氏とは、彼の演出で初舞台を踏んだ岸さん(1961年「濡れ衣の妻」)残念ながら渡航が難しい時期だったのもあり、観劇できた日本人はたったの6人しかいなかったそうです。ただし、そのうちの1人が三島由紀夫氏で、そのお二人の通訳をしていたのが岸さんだったそうです。

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 結婚生活での苦悩、そして離婚へ

そんな華麗なパリ生活を送っていた岸さんでしたが、しかしその裏では人知れぬ苦悩も。日本では人気女優として忙しくも充実した日々を送っていた岸さんにとって、嫁ぎ先であるシァンピ家には執事がいたため、「何もしないでいい」と言われたことがすごくショックだったのです。することもないし、居場所もない。

そんな中、「1年半経ったら実家に帰って親孝行しなさい」と夫に言われて帰国した岸さんを待っていたのが、木下惠介監督が台本を持って羽田に迎えに来てくださっていたのに大感激した岸さんは、そこから再び女優生活を始め、フランスと日本を往復する生活が始まります。しかし、そんな日々が夫婦間のすれ違いを生んでしまい、結婚から18年後の1975年、岸さんが43歳で離婚。国民的女優、パリジェンヌを経て、新たに進んだのは幼少期からの夢でもあった作家へ。

1983年、51歳で初エッセイ「巴里の空はあかね雲」を書き、日本文芸大賞エッセイ賞受賞します。

 

巴里の空はあかね雲

巴里の空はあかね雲

 

 

さらにかねてより関心を持っていたジャーナリストの活動も開始。イランやイスラエルなど危険な紛争地を取材し、ルポを通じて世界の激動を世に伝えた。 

 

砂の界(くに)へ (文春文庫)

砂の界(くに)へ (文春文庫)

 
ベラルーシの林檎

ベラルーシの林檎

 

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 危険な紛争地を訪れる理由

どうしてあえて危険な紛争地域へと行くのかと尋ねられると、そういうところだからこそ行きたいのだと。やはりそこにいる人々の顔は普通ではなく、それを見ているのが面白く、そういうことにものすごく興味があるのだそうです。

そして岸さんは2003年、71歳のときに小説家としてデビュー。

 

風が見ていた(上)

風が見ていた(上)

 
風が見ていた(下)

風が見ていた(下)

 

 

さらに執筆に4年も費やして書いた2作品目の小説は28万部のベストセラーに。

 

わりなき恋

わりなき恋

 

 

高齢者の恋愛を描いたこの作品には、岸さんの“だって、高齢者の寂しい姿ばっかり見せるじゃないですか。(吾郎:最近、そういうの多いですね)もう消しますよ、私は。テレビはああいうときは。私は何もしなくなったらさっさと死にたいと思うし、まだまだいっぱい書きたいし、したいこともあるので”

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 人生の中で起こる“チャンス”の掴み方

そんな岸さんの劇的な人生を振り返って、

 「人生というものの中である日突然、パッと普通でないことが起こるんですよ、誰しも、誰しも。それに知らん顔してると、平穏な昨日もあり、今日があり、明日があるけど、パッと掴んじゃうと、もしかしたら地獄に突き落とされるかもしれないけど、違う世界が見えてくる」
吾郎「でもそれをずっと岸さんはお持ちなんですね。だから僕も本当にこれからだなあとやっぱりすごく思いました」
 「そうですよ。まだ結婚もしてらっしゃらないし」
吾郎「そうですね、まずはそこですね」
 「もうびっくりしちゃう、こんな素敵なのにお二人とも」
吾郎「まずはそこですね」
2018年3月1日(木)『ゴロウ・デラックス』より

  

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 山田くんの消しゴムハンコ

 

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次週のゲストは、いよいよ芥川賞直木賞受賞作家の登場。何と3人がそろい踏みとなっての登場は『ゴロウ・デラックス』だそうで、今からとても楽しみです。

 

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain Book Bang&その他ネット記事 

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*1:1915年11月20日 - 2008年2月13日:日本の映画監督、アニメーター。娯楽映画から実験的映画、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、昭和の日本映画黄金期から21世紀初頭まで、第一線で映画制作に取り組んだ。代表作:『ビルマの竪琴』『野火』『犬神家の一族』『細雪』など

*2:1912年12月5日 - 1998年12月30日:日本の映画監督、脚本家で日本映画の黄金期を築いた一人。抒情的な作風で知られ、数多くの名作・話題作を生み出した。代表作:『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『楢山節考

*3:ショールやストールなどを頭から首のまわりに巻きつけたファッションのこと

*4:1921年2月9日 - 1982年11月5日:フランスの映画監督、医師