【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

『ドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~』と『ゴロウ・デラックス』

2017年11月2日と11月9日の2週にわたって出演くださったゲストは、藤子・F・不二雄先生の最後のお弟子さんである漫画家・むぎわらしんたろうさん。

というわけで、今回もロケで『川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム』から始まります。冒頭から頭にタケコプターをつけた状態で始める吾郎さんと外山さん。テンション高い二人に紹介されて登場したむぎわら先生を見るなり、のび太くんの将来?”と尋ねる吾郎さん。それだけでも何となくむぎわら先生の姿が想像できそうですw

F先生が亡くなったのは1996年。しかしその後もドラえもんの新たな作品が誕生。そこにはF先生の意思を引き継いだむぎわら先生の存在が。今夜はそんな長年アシスタントを務めたむぎわら先生だからこそ語れるF先生の素顔、そしてドラえもんの秘密に迫ります。

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 展示室Ⅰ:F先生のカラー原画等を展示

 

【漫画家:藤子・F・不二雄先生】
1933年~1996年。漫画家としてキャリアを45年にわたって活躍。これまで手がけた作品は合計で330作、累計発行部数は国内だけでも1億5,000万部。F先生の作品を通らず大人になった人はいない、といっても過言ではない伝説の漫画家。

 

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実は思いっきりドラえもんパーマンをアニメや漫画で見ていた世代だった吾郎さんと外山さん。懐かしさにパーマンの歌まで歌い始めます。(パーマン漫画連載は1967年開始。1967年、1983年にはテレビアニメ化)

 

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むぎわら先生がF先生のアシスタントになったのはドラえもんの連載開始から19年目の1988年。 最初のころは主に背景画像を担当されていたのだとか。

 

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f:id:kei561208:20170403184932j:plain ちなみにドラえもんに入っているタテはコマによって大きさが変わってくるので、すべて手描きで入れるそうです。見ても手描きとは思えぬキレイなタテ線です。

そこで吾郎さんがドラえもんってなんで青いんだろうね”と呟けば、“ネズミに耳を齧られて青くなっちゃった”と答える外山さんは実はドラえもん好き💕

 

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実はカラーは私たちが子どものころ普通に使っていた水彩絵具で着色。ドラえもんに使用していた色はセルリアンブルー、のび太くんや人物の肌色は朱色薄く塗って着色。

そして今夜の課題図書はといえば、

 

 

まずは1988年、むぎわら先生がF先生のアシスタントになったきっかけの部分を吾郎さんがむぎわら先生役で、むぎわら先生がF先生の役で朗読します。

 

子どものころからドラえもんが大好きだったむぎわら先生。ドラえもんのような漫画を描きたい、と漫画家を志すようになり、19歳のときに第14回藤子不二雄賞に「秋風の贈り物」で入選。それは憧れのF先生と授賞式で出会ってから数日後の出来事。
むぎわら(吾郎)「藤子先生がコンビ解消!? 藤子先生を目標にやってきたのに…。先生、どうなっちゃうんだろう…」
ナレーション(外山)「通っていた専門学校の課題にも集中できずにいると…、1本の電話が、むぎ青年の人生を大きく変えました」
コロコロ編集長(外山「コロコロ編集長、平山です。きみ、藤本先生のアシスタントをやってみないか!!」
むぎわら(吾郎)「え? ちょ、ちょっと待ってください!! 藤本先生って藤子F先生のことですか!?」
コロコロ編集長(外山「そうだ!! ドラえもんの藤子F先生だ!!」
むぎわら(吾郎)「し、しかし、通っている専門学校があと1年残っていて…」
ナレーション(外山)「実戦のほうが力になる!! とりあえず藤子プロへ面接に行こう!! コンビを解消し、独立した藤子F先生は、新事務所“藤子プロ”を設立したばかりでした」
むぎわら(吾郎)「あっという間に連れてこられちゃったけど…、いったいどうしたらいいんだ…。やっぱり卒業してからもう一度お話を…」
F先生(むぎわら)「お待たせしました」
むぎわら(吾郎)「ふ、藤本先生!!」
編集者(外山)「かれがこの間、藤子賞を受賞したむぎわらくんです」
F先生(むぎわら)「わざわざありがとうございます。ごらんの通りこの会社、藤子プロはできたばかりで…、社員もいないのです」
むぎわら(吾郎)「は、はい」
F先生(むぎわら)「そんな中で今月、学年誌ドラえもんを10ページ描かなくてはなりません。手伝っていただけますか?」
むぎわら(吾郎)「は、はい!! がんばります!!」
ナレーション(外山)「この一言で運命が決まった…」
むぎわら(吾郎)「神さまのような人から“手伝って”と言われたら…、断れるわけないじゃないか…」
ナレーション(外山)「その日のうちに専門学校に退学届を出しました。1988年4月、藤子プロ入社!!」
むぎわら(吾郎)「つ、ついに来ちゃった!! よし、先生のために!! 今日から一生懸命働くぞ!!」

 

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隣の先生の部屋から大音量の音楽が聴こえてきたかと思えば、いきなり落語に切り替わったり、むぎわら先生はよく落語を聞きながら作業が出来るなと感心していたそうです。そのときのF先生が作業をしていた本物の机も『川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム』では展示されています。

 

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1日中作業をするこの机にはF先生の遊び心が満載だったのだとか。例えばライトと写真上ではわかりにくいかもしれませんがその手前に梯子があり、ライトのふちにはのび太くんが、そして梯子の上にはライトから落ちそうになっているのび太くんを助けようとするドラえもんの姿が。仕事の合間に作って、お弟子さんたちには内緒でくっつけていたそうです。机に上には恐竜が多くあり、横に置かれた本には図鑑などが積み上げられ、漫画を描くときに「嘘のものは描いてほしくない」気持ちがあり、トンボ1匹を描くにしてもしっかり資料を開いて確認していたF先生。それを聞いた吾郎さんが、“ファンタジーな世界だからこそリアリティが大切”と仰っていましたがまさにそのとおりなのでしょうね。だからこそ、子どもたちは虚構の中にある本物の世界に夢中になれたのかもしれません。

ちなみにこの部屋にはゴミ箱もあり、しっかり再現すべく先生が失敗した原稿とかが入っています。F先生は惜しげもなく破り捨てていたので、実はむぎわら先生にとってはお宝ものだったため、こっそり持ち帰って堪能していたそうです。

 

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展示されているF先生の机の上にはF先生の仕事場から、そして自宅から運ばれてきた蔵書の数々。F先生は漫画を描くため、たくさんの世界を知り、刺激を受けるために幅広いジャンルの本を読む読書家だったのです。そして毎年12月1日、F先生の誕生日にはスタッフから誕生日プレゼントを渡すのも恒例行事。ある年、くす玉を作ったむぎわら先生ですが、そのくす玉は割れることんくF先生の顔面を直撃!! そんな楽しい職場でむぎわら先生はどんなお仕事をしていたのかというと、背景を担当した際はきちんと以前の作品から野比家やしずかちゃんの部屋など、ブロックの段数や部屋の間取りなど細かなスクラップブックを作成し、貼って背景を描くときに参考されたそうです。ドラえもんは長期連載漫画のため、時代と共に家具や家電もF先生のご自宅の変化と共に変わっていったのです。

 

外山 「ドラえもんやったら、吾郎さん、のび太くんですね」
吾郎 「スネ夫でもないか。僕はずっとそう思ってたよ。自分はジャイアンにはなれないし、出木杉くんでもないし。何にも自分じゃできないし」
外山 「のび太くん、優しいのび太くん」
吾郎 「何か褒められてるのかなあ」
外山 「褒めてますよ」
吾郎 「まあね、しずかちゃんと結婚できるもんね」

 

吾郎さんのポジティブさが大好きです。そしてこのやり取りをする外山さんと吾郎さんの関係も本当に大好きです。 

 

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むぎわら先生がアシスタントになった1988年から開始された漫画がのび太の日本誕生

背景の色を塗ったり、背景を描いたりしていたそうです。キャラクターの服装に関しては自由にしていいので、好き勝手に描いていたそうですが、あまりに細かいデザインにしてしまうと締め切り間際が大変になるので描きやすさが重要視されていたようです。そして1994年にはチーフアシスタントに。すると任される仕事も増えたのですが、1995年に連載が始まったのび太と銀河超特急”では先生に宇宙船を任せると仰っていただけたのですが気に入ってはもらえず、最終的にF先生が描いてきた宇宙船が採用されてしまいます。 

 

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雑誌は連載途中から、そして単行本ではすべてF先生の描かれた宇宙船に描き直し。とにかくご自身が好きなものに対する絵には厳しかったF先生。

 

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プテラノドンをむぎわら先生が下描きしていると、“その辺からは手は生えていない”と指摘し、“そこに関節があるはずだ”とこだわりを見せたF先生。

キャラクターまでは先生がペンを入れ、その他の背景などは先生の下絵を元にアシスタントが描く、というのが普段のスタイル。しかし晩年のF先生は体調を崩し、自宅での執筆が続いていた。そして1996年、のび太のねじ巻き都市冒険記”

 

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第1回のときにF先生から届いたのは扉絵を含むカラーページ4枚。そして残りは下絵だけの原稿。“ペンも入れてください”それがF先生からの指示だった。

 

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ちゃんと描いてほしいところは下絵もしっかり描かれるものの、よく出てくるところは簡単な下絵だけだったりするのです。そんな大変なプレッシャーの中、描き終えたむぎわらさんはF先生にコピーを渡します。普段は“ありがとうございます”というだけだったF先生が、“今後のドラえもんをもっとこうしてほしい”という指摘の入った原稿に手紙。

 

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 F先生がアシスタントに伝えたかったこととは、吾郎さんが朗読します。

 

吾郎「藤子プロスタッフの皆さんへ
〇毎日ごくろうさまです。今回は特に大変だったと思います。深く感謝しております。
〇感謝しながらこんな事を言うのは申し訳ないのですが、欲が出たと言いますか…。この機会に徹底的に僕の理想像を聞いて欲しいと思うのです。
〇言いたい事はコピーへの書き込みを見れば解って貰えるでしょう。
〇欠点ばかりした結果になってしまいましたが、今後少しずつでも理想像に近づいていけばと思います。
〇総集篇、単行本化。二度の機会にできる範囲で改定して下さい。
〇漫画家がベテランになると絵やアイデア創りのコツが解ってきます。この時が一番の危機なのです。ついつい楽に仕事をしようとする。こうなるとあっと言うまにマンネリの坂を転げ落ちることになります。
〇自戒の意味もこめて言うのですが、漫画は一作、一作。初心にかえって苦しんだり、悩んだりしながら描くものです。お互いガンバりましょう
〇“藤子プロ作品は藤子本人が描かなくなってからグッと質が上がった”と言われたら嬉しいのですが   藤子・F・不二雄

 

当初、この手紙を読んだむぎわらさんは、F先生に託される気持ちは嬉しいものの、やはり先生ご自身に描いてほしいという気持ちが強いため、どうしてこんなことを書くのだろうと思っていたそうです。ただむぎわら先生たちも歴代のアシスタントだったO.Bたちが描いてきた背景をそのままなぞるように描いてきただけなので、F先生としてはのび太はもっとだらしない性格だから、もう少し部屋が散らかっていてほしい”といった気持ちをこの手紙に書いて託してきたのです。実際、単行本になった際にはF先生が指摘されてシーンは直されて収録されています。字で描くことがなくても、キャラクターの性格が表せる、それは漫画の素晴らしいところなのです。

そんな第1回の指摘を参考に、第2回もむぎわら先生がペン入れ。それ以降に関してF先生の反応はというと、“申し分ない”と許された感じがしたとむぎわら先生。ただ、むぎわら先生の口から語られることはありませんでしたが、F先生は“これだけ描けるのなら…、もっといろいろまかせればよかったよ”とむぎわら先生に言われたそうです。

しかし、それがF先生に頂いた最後の言葉になってしまいました。 

連載第2回が完成した直後、1996年9月23日、享年62歳にて藤子・F・不二雄先生は永眠。のび太のねじ巻き都市冒険記”は未完のままで終わってしまう、誰しもがそう思ったときのこと、

 

むぎわら(吾郎)「先生…、ドラえもん、終わっちゃったじゃないか…。もっとたくさん…、読みたかったのに…。もっとたくさん先生と漫画が描きたかったのに…」
ナレーション(外山)「“のび太のねじ巻き都市冒険記”は第2回で終了…。ボクはそう思っていました。それは先生のご葬儀から1週間後のこと…」
むぎわら(吾郎)「はい、藤子プロです…。あ…、こんにちは…!」
ナレーション(外山)「先生のお嬢様からの電話でした」
娘(外山)「父の机の上になにか描いてある原稿があるんです…。まだ、だれも手をつけていないので、ちょっと見に来ていただけますか?」
むぎわら(吾郎)「げ…、原稿…。す、すぐ…行きます!!」
- 藤本家 先生の部屋 -
むぎわら(吾郎)「し…、失礼します…。先生はこの机で…、意識がなくなって……」
娘(外山)「私たちにはよくわからないから…、どうぞ手にとって見てあげて」
むぎわら(吾郎)「こ、これ、ボクわかります!! “ねじ巻き都市冒険記”第3回目の下絵ラフです!! え…。こ、これ、最初のページだけでなく……、第3回目の下絵ラフが全ページ入っています!!」
ナレーション(外山)「先生は意識がなくなる直前まで筆をにぎり…、この原稿を描き上げたのです!! その迫力に…、鳥肌が立ちました…」

 

まさにドラマのようなお話ですが、実際に先生の机に遺されていた第3話の原稿とアイデアノートを見せていただけることに。

 

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私たちの目からすると何もないに等しい状態の中から、むぎわら先生たちがF先生が言わんとした物語を描き上げることが出来たのも、長年、F先生の考えに触れ、F先生との信頼関係があればこそなのかもしれませんが、ただひたすら凄いとしか言いようが。もちろん、多少むぎわら先生たちが作っていった部分もありますが。吾郎さんが言うようにそれだけむぎわら先生たちの心がF先生に寄り添っていたということなのでしょう。

と真面目語りをしたかと思いきや、なぜむぎわら先生がF先生の描きたかったものが理解できたのかがわかったと言い出す吾郎さん。そして指すのは先ほども話に出たゴミ箱。いつもこのぐらいの状態の原稿を持ち帰っていたむぎわら先生だからわかったのだと外山金田一さんになってますけど大丈夫ですか?むぎわら「いっぱい拾いましたから」……むぎわら先生、お付き合いいただきありがとうございました。

 

f:id:kei561208:20170523013943j:plain 山田くんの消しゴムハンコ

 

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むぎわら先生が尊敬する藤子・F・不二雄先生との消しゴムハンコも温かく、ちょっと涙してしまいそうです。ドラえもんという国民的漫画の持つ温かさとむぎわら先生、そしてF先生の温かさが重なり、本当に素晴らしい内容の前後編でした。吾郎さんが言うようになぜこれが全国放送であり得ないのかがわからないくらいの。

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