『僕が殺した人と僕を殺した人』と『ゴロウ・デラックス』
2017年8月3日放送の『ゴロウ・デラックス』第260回目のゲストは、2回目の登場となる東山彰良さん(48歳)
前回は直木賞を受賞されたときでしたが、芥川賞は又吉さんと羽田さんのW受賞となり、三人で『ゴロウ・デラックス』にお越しいただいたため、アクの強い2人に残念ながらあまり東山さんにはお話が伺えなかったというw
2015年の夏、『流』で第153回直木三十五賞を受賞。選考委員である北方謙三氏曰く、"20年に1回というぐらい良い作品。満票です"と言わしめ話題に。
受賞から2年、直木賞作家の近況
2016年には『罪の終わり』で第11回 中央公論文芸賞を受賞した東山さん。その受賞式で羽田さんとはお会いしたらしく、実は東山さんの息子さんお二人(大学2年生&高校2年生)は羽田さんのファンなのだとか。父親の本はまったく読んでくれないのに、羽田さんの本は"面白い!"と読んでいるのだとか。実はひそかに読んでいるのでは?という外山さんに、次男は絶対に読んでいないときっぱり東山さん。というのも、直木賞を受賞したときにも"お父さんの俳句が新聞に載った"ぐらいのノリだったそうですw
案外、自分の身内だからこそ、小説を読むのは恥ずかしい、みたいな気持ちはあるのかもしれません……まあ、単純に興味がない可能性も否定しませんがw
まずは前回ゆっくり聞けなかった『流』のお話を。
主人公は1970年代の台湾で暮らす若者、秋生(チョウシェン)。彼がかつて中国大陸で戦争を戦い抜いた祖父・尊麟の人生をたどる青春物語。
実はこの主人公は東山さんのお父さん、祖父は東山さんのおじいさんがモデル。
直木賞『流』の発想は自身のルーツから
東山さんのご両親は中国大陸出身ですが、戦争で負けて台湾へと移った世代なので、東山さんご自身は台湾出身となります。ただ、東山さんは実際のところ祖父の物語を書きたかったのだとか。おじいさまは中国大陸で抗日戦争(日中戦争)を戦い、その後(内戦で)共産党と戦って負けて台湾に移ったわけですが、そうなると1930年代から1940年代の中国大陸という舞台に、戦争という背景で結構壮大な物語になりそうな気がして。それを書き切る自信がなかったので、ならばまずは父親をモデルにして、自分がよく知っている台湾を舞台に書いてみようと思って書いたのが『流』
『流』を書く前に2009年まだご存命だった祖父の兄弟分に会いに山東省(さんとうしょう)行かれます。当時で90歳を超えていたため、父親から今、会いに行って話を聞かないともう多分、話は聞けないぞと言われたので父と二人で会いに行き、名前も経歴もほぼそのままで作品に反映させました。
実はペンネームもその故郷である山東省からで、デビューしたときに中国名そのままでいくか、日本風のペンネームをつけるか悩んだ東山さん。しかし、自分はエンターテイメントを書いていきたかったため、中国名ではちょっと重く感じるだろうから、自分にゆかりのある名前をつけようと山東省を入れ替えて東山という名字をつけたのです。
台湾で生まれた東山さんは5歳のときにご両親が留学する広島へ。その後、一度は台湾に戻るものの、9歳のとき一家で福岡へ移住します。
言葉の苦労は?
最初に日本へ来た5歳のとき、保育園に放り込まれているうちに知らない間に身についてしまったのだとか。特に柔軟な幼少期だったのもあるのでしょうね。
また漢字は覚えやすいかという質問に対しては、覚えやすいことは覚えやすいものの、自分たちが使っている漢字と違う意味のもいっぱいあるのでそこは混乱してしまうと。例えば"手紙"は中国語では"トイレットペーパー"という意味になります。ちなみに台湾は中国語、台湾語(閩南語 - びんなんご - )、先住民の言語といろいろな言語がありますが、東山さんが喋れるのは中国語だけ。日常会話は問題ないのですが、ただ小説を書くのは無理と。新聞などは事実が伝われば問題ないけれど、小説の場合は全体の雰囲気や格調、そういうものを東山さんは漢字からは読み取れないため、自分の作品を自分で翻訳したらとよく周囲の人に言われるもののそれは絶対に出来ないそうです。
そんな東山さんの最新作が、今夜の課題図書となる、
1984年の台湾で友情を育む13歳の少年たち。だが30年後、彼らの一人が全米を震撼させた連続殺人鬼として逮捕される。一体誰が? そしてなぜ殺人鬼になってしまったのか? その謎を巡る青春ミステリー。
まずは物語の冒頭、ユン、アガン、ジェイが親友になるきっかけとなった喧嘩のシーンを朗読。
雲の多い、湿った風の吹く暑い日だった。
ひと目見ただけで、こいつらが難癖をつけてくる気満々なのだとわかった。
アガンの背後でジェイが無表情にぼくを見据えていた。
第2ボタンまで開けたシャツの胸元から、赤い紐で吊った翡翠のお守りがのぞいていた。
アガンがぼくをぶちのめしたがっているのは知っていたけど、ジェイとぼくのあいだにはなんの確執もない。
別段、不思議にも思わなかった。
ただ、アガンとジェイがいつの間にか兄弟分の仲になっていることにたまげただけだ。
友達が間違ったことをしたときに正してやるのは真の友達で、友達が間違ったことをしたときにとことん付き合ってやるのが兄弟分だった」
1984年に13歳ということは主人公らは吾郎さんや外山さんとも世代はさほど変わりはなく、環境はまったく違いますが、『流』でもそうでしたが、この『僕が殺した人と僕を殺した人』でも読むと景色がすごく浮かんでくるそうです。吾郎さんもそれは同じで、匂いとか湿度をすごく感じたのだとか。
そんな舞台となった台湾は、近頃では様々な旅行先ランキングで必ずといっていいほど上位に入ります。
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物語の中には観光だけでは知ることができないリアルな台湾の文化や情景もたくさん描かれています。というわけで、ここからは東山さんが取材で撮ってきたプライベート写真を見ながら台湾を教えてもらうことに。
舞台はリアルな台湾
物語の舞台は東山さんの故郷、台北の廣州街。ユンは両親が牛肉麺屋(ニュウロウメン) を営むアガン、そして弟のダーダー兄弟の家に居候しています。
中にも座る場所はありますが、台湾は結構暑いので外の屋台で食べる機会が多いかもしれないそうです。
牛肉麺(ぎゅうにくめん、ニュウロウミェン、台湾語: グーバーミー)は、主に煮こんだ牛肉とスープ、小麦の麺からなる麺料理である。
起源を遡ることは容易ではないが、清燉風の牛肉麺は、回族による蘭州の牛肉拉麺に起源がある。紅焼風の牛肉麺の起源として最も有力なのは、台湾高雄市岡山区の空軍の眷村の四川籍の老兵が、成都の料理「小碗紅湯牛肉」を改良したというものである。現在、牛肉麺は各国の華人にとって普遍的な料理となっており、各地方によっても特色がある。インスタントラーメンの牛肉麺は、特に台湾では非常に一般的である。
牛肉麺を説明する東山さんに、"いいじゃないですか。僕、火鍋とか好きですよ"と告げる吾郎さん。あれも薬膳が色々と入っているからといえば、外山さんは"吾郎さん、そういうの好きそう"と笑い出します。汗をかきたい、デトックスをしたい吾郎さんなのでした。
今回、東山さんは取材に行くというよりはご自身の生まれ育ったところなので、記憶が正しかったかの確認をしに行く感じだったそうです。その東山さんが住んでいた廣州街は外省人*1が多くいたため、ユンやアガン、ダーダーは外省人が多く住むエリアにいる設定。
そんな外省人エリアに住んでいたユン・アガン・ダーダーに対し、ジェイが暮らしていたのは線路を挟んで西側、戦前から台湾に住み、台湾語を話す台湾人エリア。物語の中にはこんな一説が。
アガンはこっそり線路を越えてジェイと遊んでいたけれど、バレれば母親に麺棒でこっぴどくぶたれた」
「外省人」と「台湾人」
実際にこれは東山さんのお父様世代の話ですが、祖父が国民党の正規の兵士ではなく、遊撃隊だったために正規の兵士が住めるエリアには住めず、台湾人のエリアに住んでいたのもあり、父親もそして叔母も学校に行くにも石を投げられ、頭から血を流しながら通ったり戦う日常があったそうです。そんな環境の中で育ったため、東山さんは中国語しか喋れませんが、お父様は台湾語も喋ることが出来るのです。
また本の中には台湾ならではの食文化に関する描写も。
厄払いに食べる猪脚麺線
麺線の上に豚足が乗り、ちょっとトロミのあるスープで煮たりするのですが、凄く細くて、素麺を煮込んだ感じがするのだとか。ちなみに中国語では"猪"は"豚"を意味します。吾郎:"これもコラーゲンたっぷりでいいんじゃないの?"
東山さんのお父様の世代は悪いことがあったらこれを食べて厄を落とすため、物語では子供たちはそれを真似し、仲直りの証として食べに行きます。
台湾の屋台文化
台湾は自炊する家ももちろんあるのですが、外で食べてもすごく安いため、子供たちも登校前に屋台によって食べていくこともあったり、ビニール袋の中に入れてもらい、食べながら登校をする子もいるそうです。
東山さんのお気に入りは油で揚げた揚げパンと熱い豆乳*2を道端に座って食べるのですが、ただ外国の方に"絶対美味しいから食べてみて!"とは言えないのだとか。ソウルフードなので味は二の次……ということで、今回はその東山さんのお気に入りを吾郎さんらにも試食していただくことに。→俺、牛肉麺がいい(ちょ、吾郎さんw)
豆漿に揚げパンをつけ、それをそのまま食べます。吾郎さんや外山さんの感想としては、豆乳が甘く、ちょっと懐かしい味がするそうです。
台湾の信仰「筊(ポエ)」
東山さんが今回の物語を書くにあたり、最初に思い浮かべたというのが、少年たちがお寺である重要な計画を実行に移すべきか、神仏にお伺いを立てるシーン。このとき彼らが使っていたのは、台湾ならではの「筊(ポエ)」と呼ばれる2つの赤い木片。
さすがに吾郎さんらもこればかりは読んでいても理解できなかったそうですが、この2つの 「筊(ポエ)」を投げて、表と裏に分かれたらお伺いが通った、YESをもらったという意外にシンプルなお伺い。その大事なことを伺うシーンを外山さんが朗読します。
それから筊を取ってきた。
"事が事だから、ひとりでも反対されたらやめよう"
ぼくは神妙に言った。
"アガンもそれでいいな?"
道中ずっと無言だったアガンはやっぱりなにも言わなかったけど、目に決意の光をたたえてうなずいた。
"じゃあ、まずはジェイからだ"
ジェイは筊を額に押し当て、低頭して口のなかでお伺いを立てた。
俺は三水市場に住む沈杰森です。十四歳になりました。おれには殺したいやつがいます、それはおれの継父の沈領東です。もうこれ以上は耐えられません。あいつが死ぬか、おれが死ぬか。ふたつにひとつです――――目を開き、思いを解き放つ。
赤い木片はスローモーションのように落下し、乾いた音を立てて床の上ではじけた。
表と裏。
"聖筊*3だ"」
世の中のことは信じていない、大人のことも信じていない。友達同士でも確執はあるのに、神様にお伺いを立てる筊はちゃんと信じるのですねと告げる吾郎さんに、東山さんの印象として現代の台湾は日本と同様スマホ文化ではあるものの、そのスマホを使っている子供たちでもお寺にいけば筊を投げてお伺いを立てている。そういう土地柄だと思うそうです。物語の登場人物は13歳という年齢ですが、逆にこの年齢だからこそ、そういう重大なお伺いが出来たのかもしれないと東山さん。
ということで、早速、筊を使い、東山さんから素敵なお話も聞けたし、撮れ高も十分なので収録を終えていいのかをお伺いすることに。吾郎さんが筊を投げれば一発で表と裏が出る"聖筊"が。なかなか一発で表と裏が出ることはないらしいのですが、そうなると困るのがこの方w
山田くんの消しゴムハンコ
ちょっと自信なさげな山田くんが作った消しゴムハンコを、東山さんは可愛いと言ってくださいました。
今回は『流』、そして『僕が殺した人と僕を殺した人』 の舞台となった台湾の食文化を知ることでより物語を身近に感じられるよう構成された面白い回でした。そう、シンプルな筊でも異文化である以上、なかなか理解するのは難しいので、こういう取り組み方もまた面白いかもしれませんね。本当にこの番組は本の数だけ、構成の仕方がある。まさに無限の可能性を秘めているのかもしれません。だからこそ、長く続けていってほしいです。
というわけで、こんな素敵な番組がこれからも継続できるよう視聴された皆様のTBS、並びに番組公式HPへの感想をお願いします。
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