【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

2016年、SMAPの解散に対して思うこと

2016年12月26日(月)、『SMAP×SMAP』という1996年(平成8年)4月15日(月)から始まったSMAP冠番組が、20年という長きに亘る歴史から終わりを告げた。

その内容についてコメントを告げるならば酷い内容であったと、それだけです。もちろん、懐かしかったり、面白かったりはしましたが、途中でスマスマの歴史、そして5人の絆を語るために長々と取り上げられた吾郎さんの情報に、また最後の「世界に一つだけの花」を歌う場に、そして幕が下りた後も晒し上げるようになされた演出に対しても憤りしか感じられなかったのが本音です。ただ、放送されてしまった以上、ここでグチグチ中途半端に語ったところで無意味ですので、意見につきましてはスマスマの公式HPへ、そしてフジテレビへと直接届けてそれで終了とします。

というわけで、2016年も後1時間で終わりを告げ、2017年という新しい年を迎えるため、その前に自分なりの考えを改めてここに書き記しておこうと思います。

まず、激震が走ったのは2016年1月12日(火)深夜。13日(水)付の日刊スポーツなどがSMAPの解散とメンバーによる独立が表面化したと記事になされ、事務所も協議中であると認めたことからこの一年間における一連の騒動は始まりました。

あくまでも憶測が入り混じってはいますが、この騒動につきましてWikipediaである程度まとめられていますので参考ください(SMAP解散騒動 - Wikipedia

この騒動に関していえば、ネット記事、週刊誌も様々な憶測や思惑が入り混じり、今日は〇〇が原因で解散するのだと書かれたかと思えば、翌日には〇〇は解散する気がまったくなかったと書かれたり、羅列すると笑えるほどに一貫性がなく、まったくもって信用ならない状態でした。ですので、これから書くのは私が個人的にTVを見て感じたこと、思ったことにすぎません。各々感ずるところは違うと思いますので、全然違うところも多々出てくるかもしれません。その場合はこの人と私は意見が違うのだわと流してください。いや、違う!! 彼らはこう思っているんだから!!と意見を言われましても、私としては確固たる証拠もない以上、議論の余地はなく、そうですかとしか返しようがないのでそこを予めご了承の上、この先は自己責任でお読みください。

まず、2016年の1月で各スポーツ紙が報道したときには事態は沈静化していたのだという記事があったように、それなりに彼らは落ち着いていたように感じていました。ただ、1月18日(月)の「SMAP×SMAP」で行われた生放送による謝罪、ここから事態は悪い方向に転がっていったのではないかなと感じます。それぞれがグループとして立て直そう、そうした意図は感じられたものの、ぎこちなさは確かにあったと。

Twitter上ではわざとそういう編集がなされている、彼らは本当に仲良しなんだという声はありましたが、以前から彼ら自身が言うようにSMAPというグループは仲良しではなくプロフェッショナル集団です。言葉がなくてもお互いがお互いを阿吽の呼吸で補えられる関係であり得たのは、そこに互いへの敬意が、そしてグループへの愛が存在していたからだと思います。でも、その根幹をなす部分に1月の報道をきっかけとして、修復が難しいほどのヒビが入ってしまった。裏側で何が起こったのかはわかりません。おそらくその裏側が語られることはないでしょうが、ただ、プロフェッショナルであり続けた彼らが29年目にしてプロフェッショナルであり続けることが困難になる出来事が彼らの中で発生していた、そう感じました。

そして8月14日(日)の深夜に事務所から各メディアに正式な解散が発表。

ファンの多くはそこに書かれた言葉を彼ららしくない、きっと事務所主導で書かれた文章に違いない、そこに彼らの意思は入っていないからという意見もTwitter上で多く見かけましたが、私個人は彼らの意思は入っているのではと感じます。

 

 

稲垣吾郎

「ファンの皆様、スタッフ関係者の皆様、この度はご心配ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません。今の状況で5人での活動は難しいと思い、辛い決断ではありますが『解散』という形を取らせて頂く事になりました。どうか僕たちの意思をご理解頂けたらと思います。28年間本当にありがとうございました」

 

 

具体的に何があったのか、そしてどういう経緯を持ってその結論に達したのかを知りたい人は多くいるでしょうが、それもまた開けてはいけないチャックの一つ。誰のせいでもない、自分たちで「解散」を選んだと告げる吾郎さんの言葉は吾郎さんらしいと思いますし、この言葉が現状、彼らのおかれた状況をすべて物語っているとも思います。

「解散」を選ばされた―――――…ファンとしては自分たちが望まない形を彼らが取るはずがないとそう考えている方が多いようですが、個人的にはたった一つ「解散」という選択肢しか残されていなかったとしても、その結論は彼ら自身の意思によって選ばれたと思いますし、そういう人たちだとも思っています。

もちろん、その選択肢しかない状況に陥った要因に対して腹立たしい気持ちはすごくあります。その手前できちんとマネージメントをしてくれていたら……と。もう何を言っても詮無き事にしかすぎませんが。そして、実際、その後の雑誌などで剛くんや吾郎さんも語ったように、彼らの内部で発生してしまったことは時が解決する以外、手段はないのだとも感じています。それがいつになるのかはわかりません。明日かもしれないし、数年後かもしれない。ひょっとしたら一生その日は来ない可能性だってある。それでも彼らは生きて、この芸能界という世界で活動しています。それぞれがそれぞれの個性に活動をし続けていれば、いつか再び彼らの道は交わり、「SMAP」として活動する日は来るかもしれません。今はそういう未来があるかもしれない、そういう選択肢が残されていると思うだけで十分ではないでしょうか。

そのためにも2017年、彼らを庇護してくれていた「SMAP」という大きな看板を失った彼らが、これからを以前と変わらぬ活動ができるよう応援していくことはとても重要になっていくと思います。これまで誰かが私の代わりに応援の声を届けてくれていた、誰かが私の代わりに購買の力になってくれていた。分母が大きかった分、補えてたことが個人へと変わり、ファン一人ひとりがもたらす影響力はとても強くなっていくでしょう。また、冷たい言い方かもしれませんが、グループを失った彼らから消え去っていくファンも少なからず影響していくと思います。

だから彼らも、そしてファンも正念場なのはこれからなのです。頑張って努力を重ねている彼らがこれ以上、理不尽な思いをしないためにも今まで以上に財布の紐を緩め、応援の声を上げていかねばと思います。ただし、中居くんがいつも言うように、無理のない範囲でですよ。

2016年の最後に彼らへと贈る言葉があるとするならば、「おはスマ」で中西さんが語った言葉と同じになってしまいますが、いつか戻ってくる日が来ると信じたいので、その日までさよならは言いませんと。本当に、本当にこの28年間ありがとうございました。どれほどの力を「SMAP」の皆さんから頂いたか。だからこそ、今度はそのお返しのためにも、一人ひとりの背を押せる応援を続けていきたい――――…そう感じた2016年の大晦日でした。