【考える葦】

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

『ビンボー魂』と『ゴロウ・デラックス』

2016年5月26日に放送された『ゴロウ・デラックス』第207回目のゲストは、俳優であり、タレントであり、そしてモデルでもある風間トオルさん(53歳)

21歳のときにノンノ・ボーイフレンドに選ばれて男性ファッション誌の『メンズノンノ』専属モデル第一号として阿部寛さんと同時期にデビュー。その後も正統派イケメンとして雑誌モデルを中心に活動していたところ、対談で出会った浅野ゆう子さんに役者としての才能を見出され、1989年にフジテレビ系列のドラマ『ハートに火をつけて!』で役者デビュー。以降、トレンディー俳優として第一線で活躍を続け、50代となった今なお順風満帆な風間さんの出演に対し、吾郎さんは「まさか、アノ方にこんな壮絶な過去があったとは……まだ信じられない。結びつかない」と感想を述べます。

そんな吾郎さんが想像もつかない今回のゲスト風間さんの課題図書とは、 

 

 

ここでは5歳で両親が出て行った経緯や、その後に祖父母宅で生活するようになったものの過酷な経済状況の中で祖父の介護、学校生活、恋愛、その後の自立までを詳細なインタビューで初めて公にする事実も語られた本だ。

登場した風間さんに、第一声同様そんなふうに言っていいのかわからないけれど驚いたと口にする吾郎さんに、やはり「おぼっちゃんですよねとか、良いところの育ちですよねとかはよく言われてたんで、そういうイメージなかったんじゃないかな」という風間さんの言葉どおり、世間では慶応ボーイがモデルに…といったイメージが強かったと思います。私も申し訳ないことにそういうイメージで見ていたときがありました。

その貧乏生活を送るきっかけとなった5歳の出来事を吾郎さんが朗読します。

 

 

あの日のことを僕は不思議なほど鮮明に覚えています。母に手を引かれて家の近くにあった多摩川の河原へと行くと、そこへ一人の男性がやってきました。

僕はその人の顔をチラッと見て「知らないおじさんだな」と思ったのですが、二人の会話を聴いているうちにわかったことがありました。

一つは、その男性が母と同じ工場で働いているらしいということ。

そしてもう一つは、母がその男性に想いを寄せているのだろうということ。

あの時、母は既に父と別れる決意をしていて、僕が男性に懐くかどうかを試したのではないか。

ところが僕は母が選んだ男性には懐かなかった。

結局のところ、僕は父を選びました。

その結果、母は家を出た。

 『ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』一部抜粋

 

 

まるでドラマのように母が家を出、その1週間後ぐらいに今度は父親も新しい女性ができたらしく出ていってしまったと。ただ父方の祖父母も大した問題には思っていなかったため、説明された風間さんもさほど深刻には受け止めていなかったのだとか。

その風間さんの話に悲しくならないのが不思議、グレたりしないのがと吾郎さんと外山さんのお二人がコメントすれば、「グレるって、グレる対象の人がいるからグレるんであって、俺はグレても誰も助けに来ないし、呼びにこないし、いなくなっても1週間後ぐらいして帰っても“あぁ”ぐらいで終わりそうだったんで、これグレたら俺が大変だなと思って、で止めたんです」と風間さんは答えるわけですが、これが深いというか、痛いというかね。確かにグレるのはある意味、誰かに自分という存在を訴えたい気持ちがあると思うのです。応えてほしいから、でも風間さんはその応えを出してくれる人がすでに自分の周囲にはいなくなっていることを理解しているわけですよ。さらに言えば、風間さんはグレる以前に生きることに必死で、そんなことを考えている余裕すらなかったのではないでしょうか。

また、川崎で一緒に住むことになった祖父母がのんびりとした感じで、何事にも動じられない方々だったのが風間さんの性格もあるでしょうが、逼迫感を与えなかったのかもしれません。おばあさまのエピソードにも人間生きていればどうにかなるといったゆったりとした思考が感じられます。

しかし同居するようになった祖父母は年金だけが頼り。そこからが風間さんの壮絶なる貧乏生活は始まっていったのです。実際に風間さんの証言を元に美術スタッフが作ったアパートの模型も凄かったですが、現状を受け入れ、貧乏生活を乗り切るために編み出した画期的なアイディアの数々もまた凄まじい。

 

  1. お風呂は洗濯機で(服を着たまま洗濯機で洗濯して一石二鳥)
  2. 朝顔は紫色が一番甘くて美味しい
  3. 多摩川の土手に生える草花は冷蔵庫の野菜室
  4. デリバリーで来てくれるカマキリはオヤツ代わり
  5. ツバは薬代わり
  6. 寒い冬は大豪邸の壁で岩盤浴
  7. 河原の石がカイロ代わり
  8. 温かくなった河原の石を舐めると石焼き芋の味がする

 

このアイデアの数々も風間さんが1988年に発売したイメージビデオにのせて、しかも1986オメガトライブの『君は1000%』というBGMに吾郎さんがトレンディ風に格好良く読み上げるというバブル仕様で語られるためにギャップが酷いw

ご本人もさほど深刻に受け止めず、むしろ楽しそうに貧乏時代の話を語っていますので、こういう形で悲惨な生活をちょっと笑いに持っていくのが正解な気はします。うん、深刻に話すと欝々と凄まじい状況ですからね。

そして現在風間さんが暮らしている都内の某タワーマンションでの生活ぶりをご自身でVTR紹介していただいたのですが、貧乏時代からの名残にまだ使えるのではないかとペンがなかなか捨てられないそうです。ご覧のとおりと見せていただくと引き出し3、4杯に大量のペンが。

さらにアロエを育てていて、毎朝アロエジュースにして飲んでいるのだとか(火傷とかに塗るから、食べたら中から全部治してくれるんじゃないかなと思ったと)ただ、確か生アロエはすごい苦い記憶が。そういえば、草花やカマキリなどを食した経験があるからでしょうか。風間さんの大人になってからのエピソードには、海外の撮影に出かけた際、同行したスタッフがお腹を壊した中で一人大丈夫だった風間さんがハンディカメラ片手に動物の撮影をしてきたなどなかなか愉快な話がたくさんあります。よろしければお読みくださいませ(風間トオル - Wikipedia

そして最後は壮絶な貧乏体験から学んだ教訓を風間さんご自身が朗読します。

 

 

父のことも母のことも恨んでいません。

こうして今、自分が生きているのは、両親が命を授けてくれたおかげなのですから。そのことに感謝すべきだと大人になってやっと気づいたのです。

現在、父とはもちろん交流しています。

人生はサバイバル!!

僕のサバイバルもまだまだ続くことでしょう。

こんな僕ですが、自信をもってお伝えできることがあります。それは苦労は決して無駄にはならないし、結局のところ、誰の人生も五十歩百歩なのだという事実

どうも自分はついていないなという人だって、たまたま今がついていない時期なだけ。

しかも、実はついていないという時期というのが侮れなくて、心の筋肉を鍛え直し、新しい自分を発見できるチャンスなのです。

どんなに感謝してもしきれない亡き祖父母に――――…ありがとう!

  『ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』一部抜粋

 

 

風間さんがそこに至るまでの胸中を想像するとそれもまた壮絶なものがあったのかなあとは思いますが、自身の境遇に対して誰も恨まず、淡々と生きてきた祖父母の影響はやはり強いのでしょう。調べてみるとお父様との交流……と言っていいのか悩みますが、何事に対しても恨まず、受け入れる強さを感じます。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

ついでに2015年10月13日『中居正広のミになる図書館|テレビ朝日』に出演された際の危険な体験エピソードも、風間さんの肝の座りようがよくわかる内容だと思うので紹介しておきます。

 

news.aol.jp

 

最後に恒例となった山田くんの消しゴムハンコは、風間さんと祖父母、そして祖父母と一緒に暮らしていた川崎のアパートのハンコ。ただ、おばあさまを見た風間さん曰く、メガネ部分がほっかむりの鼻の下で結んでいる部分に見えたのでしょう、「鼠小僧?」と。頑張れ、山田くんwww  

ゴロウ・デラックス』の素晴らしいところは、本というものがどういうものかをちゃんと教えてくれる番組であるということです。文学だけでなく、こういったタレントの自叙伝的な本から得られる教訓だとか、その内容は多岐にわたって見ている人にも、そして課題図書として渡された吾郎さんたちの身にもなってくれるのです。そういう意味でいえば、しっかりとバラエティに富みながら、それこそ心の筋肉をつけてくれる本を選んでくださるスタッフの方々にはいつも思うことではありますが本当に感謝です。

というわけで、よろしければ公式HPに番組の感想をお願いします⇒『ゴロウ・デラックス』ご意見・ご感想大募集!| TBS