- 考える葦 -

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

シネマナビと映画「キャロル」

「anan」No.1989(2016年2月3日号)の「稲垣吾郎 シネマナビ!」にて紹介されていた映画「キャロル」が2016年2月11日(木)より上映開始されたため鑑賞してきました。なお、これから先映画内容について語るため、自ら観るまではネタばれ情報を目にしたくない方はご注意ください。そして「キャロル」についてのあらすじですが、

 

1952年ニューヨーク、クリスマスを間近に控えて街は活気づき、誰もがクリスマスに心ときめかせている。マンハッタンにある高級百貨店フランケンバーグのおもちゃ売り場でアルバイトとして働く若きテレーズ・ベリベット(ルーニー・マーラ)。フォトグラファーに憧れてカメラを持ち歩き、恋人のリチャード(ジェイク・レイシー)から結婚を迫られてはいるが、それでも充実感を得られず何となく毎日を過ごしていた。
そんなある日、おもちゃ売り場にキャロル・エアード(ケイト・ブランシェット)が6歳の娘リンディへのクリスマスプレゼントを探しに訪れた。テレーズはエレガントで美しく魅力的なキャロルから目を離すことができなかった。キャロルもその視線に気づいた。そのままキャロルの応対をするテレーズはプレゼントを一緒に選び、イブまでに届くように手配をした。その際キャロルが手袋を忘れていってしまう。テレーズはすぐに手袋を自宅へと郵送した。するとキャロルから百貨店に電話がかかってくる。
御礼にとランチに誘われたテレーズは、翌日、キャロルに指定されたレストランで初めて話をして向きあう。愛のない打算的な結婚生活を送っていたキャロルは離婚することが決まっているという。その週末、郊外のニュージャージーにあるキャロルの屋敷に招待され楽しい時間を過ごしていると、突然別居中の夫ハージ(カイル・チャンドラー)が帰宅する。クリスマスイブにリンディを迎えに来るはずたったのが日程を早めて来たのだ。     “映画公式HP【キャロル】より”

 

所謂女性同士の愛を描いた作品ですが悪戯にセンセーショナルに取り扱うわけではなく、同性同士ではあるものの普遍的な恋愛映画です。原作者は「見知らぬ乗客」や「太陽がいっぱい」などで有名なパトリシア・ハイスミス。そのパトリシア・ハイスミスが「見知らぬ乗客」を書いたのち、クレア・モーガン名義で書いたのが「The Price of Salt」であり、これが後に改題されて「キャロル」という映画になるわけですが、この「The Price of Salt」は1950年代というホモセクシュアルが弾圧を極めた時代の中で出版され、ペーパーバックで100万部発行というベストセラーになりました。実際、物語の導入部分はパトリシア・ハイスミスの実体験もかなり含んでいるらしく、つまるところ彼女がレズビアンであったのは公然の秘密だったと聞き及んでいます。

ま、それを言い始めたら監督であるトッド・ヘインズも自身がゲイであることを公表していますが、それもあって吾郎さん曰く、「セクシュアリティにラベルを貼らない、という作り手の意思も感じさせる作品」に仕上がっているのかもしれません。

とにかくこの映画は美しい、まずその言葉が浮かびます。ケイト・ブランシェットはカリスマ性を持ち、性別すら凌駕する美しさを、ルーニー・マーラの透明感あふれる美しさはもはや眼福としか言いようがなく、さらにそれを増幅させてくれるのがファッションやカメラワークの数々です。その画面等については町山智浩さんのTBSラジオたまむすび』にて詳しく語っているため、そちらを紹介したいと思います。

 

町山:まず、画面がものすごく美しいです。エドワード・ホッパーという画家の絵のようなんですよ。
赤江:えっ、どんな感じなんでしょう?
町山:色とか光がね、滲んでいる感じです。淡く、暗い中に。
赤江:へー、うん。
町山:でね、これはね、50年代ハリウッド映画で使われていたテクニカラーという特殊な撮影技術の再現をしようとしてるんですよ、現代で。
赤江:50年代風に?
町山:はい。それだけではなくて画面に映るものすべてがですね、色がコーディネートされてます。キャロルはいつも赤い衣装をつけていて、それで他の部分が関係のない色が入らないように置いてあるものとか全部色を選んで、徹底的にカラーコーディネートされた画面になっているんですよ。『この部分は全体にブラウンで』とか。
赤江:ええ、ええ。
町山:で、それがね、昔、ハリウッド映画ってそうだったのですよ。
赤江:あっ、そうなんですか。そこまで考えられていたのですね。
町山:昔、ハリウッド映画って全部セットで撮っているから、全部カラーコーディネートしてたんですよ。
赤江:ああ、そうか。
町山:それの雰囲気を出そうとしてるんですね。で、それだけじゃなくて、たとえばデパートで売っているお人形っていうのも50年代だから大量生産のおもちゃがないから全部手作りなんですよ。その手作りの人形とかを新品で再現したりしてるんですごいですよ。
赤江:へー。
町山:で、本当に知らない人が見たら……っていうか、200年ぐらいたってからこの映画を発見した人は、これは1950年代に撮影された映画だと勘違いするような映画です。

       町山:町山智浩さん 赤江:赤江珠緒さん(敬称略)

  TBS RADIO たまむすび: 町山智浩アメリカ流れ者 ”2016.01.12”

 

それ以外にもあえてスーパー16mmフィルムでの撮影をし、粒子が荒く画面が淡い風合いを出すことで1950年代を感じさせたりと、随所に視覚的効果を狙っているのも感じられます。

だけど、当たり前ですが一番は今が旬の女優二人の共演です。まさに二人の目と目が合い、出会うシーンは「恋とは落ちるものである」のを感じさせてくれますし、そこ以外でもちょっとした仕草、目線といったものに役の感情がこもっています。本当に伝えたい感情はあえて台詞にせず、目で語らせた物語だし、その要求に十分応えた演技でもありました。ただ、吾郎さんもシネマナビで語っていますがケイト・ブランシェットの目の演技がイケメンすぎて……というか肉食獣めいていて、若干やりすぎ感はあるのかなと。後、ラブシーンでの背中に逞しさを感じてしまいまして、そこらへんが吾郎さんからしてみるとおっさんにしか見えない部分なのかもしれません。私も映画を観ながら、ああ、吾郎さんとしてはここが気になったのかなと思ったぐらいです。だから個人的にはケイト・ブランシェットの演技よりはルーニー・マーラの徐々に自立していく女性へと変貌していく表情のほうに圧倒されました。もちろん、好みの問題もあるとは思いますが。

後、1950年代の同性愛を取り扱っているというのに普遍的すぎるかなと。もうちょっと葛藤があってしかるべきなのに、どちらにもそれが垣間見られないのが残念な気がしました。そして吾郎さんはキャロルがテレ―ズに恋する理由が分かりづらく、単にたらしこんでいるように見えてしまったようですが、私もキャロルが身勝手な女性に感じられて、あまり感情移入できなかったのでちょっとそこも惜しかったですね。

ですが最後のシーン、カットの切り替えも素晴らしければ、それぞれの表情も素晴らしく、また音楽が前面に押し出されていた分、観る側に強い印象を与えた気がします。大どんでん返しがあるわけではないものの丁寧に繊細に仕上げた分、じわりと揺さぶられる映画だと感じました。とにかくこのラストの表情を観るだけでも十分な価値がある映画ではないでしょうか。