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考える葦

某男性アイドルグループ全活動期メンバーで、左利きな彼(稲垣吾郎)を愛でる会

稲垣吾郎とシネマナビ!

稲垣吾郎 シネマナビ anan 雑誌

「anan」という雑誌に「稲垣吾郎 シネマナビ!」という映画評を週に1度掲載している吾郎さん。この映画評を読むたびに思うのは、吾郎さんという人がいかにして文学的感性にあふれているかということで、かつて彼が連載していたエッセイ本「馬耳東風」にもその才能はいかんなく発揮されています。もしまだ読んだことがなければぜひお読みください。THE・稲垣吾郎が感じられるでしょう。ただ、残念ながら現在は中古本でしか入手できませんが。たとえばその「稲垣吾郎 シネマナビ!」にて

 

『人の命を犠牲にしてまで芸術を守ることに意味があるのかと思う人もいるでしょう。でも、芸術や歴史は命の蓄積であって、それはやっぱり守る意味があると思う。【ミケランジェロ・プロジェト】より “- anan No.1979 -”』

 

『一方で、芝居が自分でうまくやっている時って、自分を俯瞰で見ているような替え玉感がありますよ。役者ってそれが快楽なのかもしれないけれど。【ローマに消えた男】より “- anan No.1980 -”』

 

文章は書き慣れることで上手くなります。上手くはなるものの、感性というものは多少磨かれることはあっても、如何せんその人が生まれ持ったものが大きく左右します。その文学的感性が吾郎さんにはある。だからこそ、吾郎さんのファンの多くは彼にエッセイを書いてほしいと願う。「馬耳東風」のような稲垣吾郎だからこそ書けるエッセイを。残念なことに今はその吾郎さんの感性が活かされたシネマナビに望みを託し、書籍化を狙う以外エッセイを書いてくれそうな気配はないのですが。

後、シネマナビを好むのは吾郎さんの立ち位置の絶妙さがよく表れているからでもあります。よく吾郎さんは自身でも中間管理職だと表現しますが、世間の方は言葉を額面通り受け止めるものの、その役割は多岐にわたっていると個人的には思っています。人間関係しかり、歌の際の声の中和的な意味としてもしかり、その他もろもろ。

さらに言えば、稲垣吾郎という人は境界線上に漂っているという認識を持ってます。ちょっと誤解を招きそうな表現かもしれませんが、たとえば男女という分類があれば基本吾郎さんはその境界線上を漂い、必要とあれば男の世界へチャンネルを合わせ、不必要になればフラットな視線に戻す。そしてまた必要となれば女の世界へチャンネルを合わせ、不必要になればフラットな視線へと戻すことができる人だと感じています。つまりはその世界と世界の境界線にいるからこそ、橋渡しができる人でもあり、こういった映画評論というのは吾郎さんの持つその資質に合っているのではと考えるのです。

実際、月刊誌「群像」2015年7月号にて吾郎さんと対談をなされた小野正嗣さんはその最中にこう語っています。

 

小野:僕が稲垣さんを稀有な存在だなと思うのは、表現者でありながら、創造する人と受容する人との間に立つメディエイター、つまり媒介者でもある点です。「ゴロウ・デラックス」では本を紹介し、雑誌の「anan」では毎週映画評の連載をなさっていますよね。そういうことをしている表現者は世界的にも珍しいのではないでしょうか。この貴重さはもっと評価されるべきですよ。

          『群像 第七十号 第七号 2015年6月5日発売分』 

 

まさにそれ。さすが小説家でありながら比較文学者であり、フランス文学者でもあり、なおかつ大学准教授でございます。というか、私の誤解を招く表現を書くより、最初から小野さんのを引用するだけで良かったような気がしてきた。

ちなみにこちらの「群像」はSMAPという冠も持たず、演じてはいても割に等身大に近い41歳(2015年発行当時)である稲垣吾郎という男性が持つ素晴らしい資質が感じられる対談となっております。現在もバックナンバーの取り扱いはありますので、興味がありましたらぜひお読みいただければと思います。⇒【群像:バックナンバー】

 

『監督は女性なのに男の目から見たマドンナのあり方がすごく巧く描かれているんです。ただ、最初から理想的なくらい愛想がよくて。僕が演出するなら最初ははじめての客にちょっと用心していて、お酒を飲むにつれて色っぽくなってくるように撮るかなと思うけれど、この場合、最初から無防備に愛想がいいのはそれなりの人生経験があるからとも思わせる。【俳優 亀岡拓次】より “- anan No.1988-”』

 

こういった演出側の、それと同時に観客側の目線があったり、俳優としての視線で演者の目などの細かな演技について語ったりしたかと思いきや、

 

『キンバリーは美しい女性ですが、会話があけすけですね。平然とセックスの話なんかをされると、僕だったら引いてしまう。それに室内で、ずっと下着姿のまま歩きまわっているんですが、僕はそういうことされるの、嫌ですね。絶・対・に・嫌ですから。【COMET / コメット】より “- anan No.1982 -”』

 

うん、大事なことなので2回繰り返しましたじゃなくって、実に吾郎さんは吾郎さんだなあと感じさせる文章です。そんなに念を押さなくてもw

吾郎さんが視聴した映画を色んな視点から楽しみながら、その文学的表現を堪能しつつ、時として毒を吐いたり、また時としてここを読んでくださる方に向けた映画評に沿いながらも吾郎さんのこれまで秘されてきた本当の話がね、さり気に混ぜられたりとちょっとしたファンとのコミュニケーションツールにもなっているために案外油断ができない、映画評でもあるのに楽しいエッセイでもある「稲垣吾郎 シネマナビ!」オススメです。

ただし「稲垣吾郎 シネマナビ!」は基本吾郎さんが語る内容を瀧井朝世さんというライターさんが文字にまとめます。先日の吾郎さんのラジオ「稲垣吾郎STOP THE SMAP」でもファンからのメールに対し、そのことについて語られましたが。

 

『取材で僕がインタビューに答えて、文章まとめてるのは僕ではないですけど、ライターさんですけれど、その作業だけでも1本の映画でやっぱり僕は1時間近くお話をしているので。結構、研究してるんですよ、一つの映画を。それをすごくわかかりやすく簡潔に、雑誌媒体のニーズにもあわせてプロのライターさんが文章まとめてくださっている。【稲垣吾郎STOP THE SMAP】 “ - 2016.02.04放送分より - ”』

 

なんだ、吾郎さんの文章じゃないんだと思われがちですが、長年続けてきたのもあり、まさに阿吽の呼吸といいましょうか。1時間かけて吾郎さんが話した内容をあの量にぎゅっと濃縮させるのだけでも大変なのに、その上で文章には吾郎さんの息吹が感じられるものとなっています。そしてその「稲垣吾郎 シネマナビ!」と同じく「anan」の中に「Book」で瀧井朝世さんが本を紹介されるコーナーもあります。合わせて読むとその違いがよく感じられると思いますので、そちらもお読みいただくと面白いかも。